3-9)巡り池
山田の言葉に、横須賀は服の裾を掴んで動きかけた手を止めた。指がペンを掴む代わりに、服に皺が寄る。服がズボンから出てしまわないように少ししまい直して、横須賀は指の腹を撫でるように拳を握った。
「人がいない、って、なんでですか」
「清掃が組長と実行委員。ガキの持ち物を入れるのに親が中に入れないこと考えても祭りの期間は近づかないのが取り決めみたいなもんだろうからだ。見つかったら話を聞くなり言い訳するなりすりゃいいが、ま、それもあっての獣道だな。こっちは部外者だから堂々として問題ねーけど、見つからない方が時間の短縮になるし、確認も出来る」
「確認」
「川の位置だ。あんな場所じゃ昔は池が後生大事にされていただろうな」
山田の言葉に、横須賀は先程通った場所を振り返る。確かに随分と外れている。昔水が無い場所では随分遠くに汲みにいったとの話を聞いたことがあるので利用しないとは言い切れないが、近くに池があるのならそちらに行くのが道理だろう。
こちらからはまだ池の形まで見て取ることはできないが、町内の範囲ならそれなりに頼りにされたのではないだろうか。
「あの、だいたいわかった、っておっしゃってました、けど」
「……そもそもまあ当たりをつけてはいたからな。今回の件は、例の色薬絡みだ」
ひゅ、と横須賀の喉がなる。山田の眉間に皺が寄った。
「帰りたいなら帰れよ、動けなくなったら面倒みねぇぞ」
「すみませ、聞かせてください」
細い声で少し早口ぎみに答えた横須賀に、山田がどん、とそのわき腹に拳を入れる。さほど強くないがそれでも痛みに呻いた横須賀は、自身を落ち着ける為に大きく息を吐いた。
「色薬について赤月から聞く前に、この場所を調べたことはある。依頼人を捕まえられなかったからその時はここまで介入しなかったがな。調べた情報の水と色薬は少し似ている。ここは提灯みりゃわかるがそのまま青だな」
「青」
復唱するが、紙を見なければその詳細を横須賀は思い出せない。頭の中のノートは真っ白で、だから横須賀はメモを取るとも言えるのだろう。親指と人差し指と中指をすりあわせても、紙がないので今は意味などないが。
「青は老いによる病気を、だ。正直眉唾もんだったが、関係した結果が出ているんだ。なんらかのモンはあるだろう」
「結果」
復唱は、想像がつかないものを噛み砕くためのものでもあった。山田が小さく鼻を鳴らす。
「十三年に一度、人が消えている。盆が終わったあとに、だ。まあこの時期についてはちょいと調べたいことがあるが――とにかく、人一人消えて、成り立つモンならアタリだな」
山田の中ではほとんど道筋が出来ているのだろう。普通ならあり得ない言葉は、しかし否定できないものだ。横須賀はそれを見ている。おにーちゃん、と笑う少女と、緑と、時計。それらがぐるぐると存在する。
「なんで」
ぽつりと横須賀が言葉を落とす。純然たる疑問に、山田は顎で前を示した。
「それはこれから行く場所で見るしかないだろうな。とはいえ、俺は言ったように理解できないモンを考える気はない。分析は学者先生方だろ。昔の事件を探れりゃいいが、流石に図書館も聞ける人間もろくにいない状態じゃ厳しいのもある。とりあえずガキの保護と色薬の件さえわかれば上等。必要があれば、テメェに仕事を任せる」
任せる、という言葉が横須賀の内側に落ちる。神妙な顔で「はい」と頷いた横須賀は、前に目を凝らした。山田の予想通りと言うべきか、今のところ誰もいない。社と池が見えてもそれは同じだった。
「ここに提灯はないか」
「あ、はい。無いようですね」
山田の問いに横須賀は頷いた。見渡してもこちらに飾り付けはない。
池も社も、特別なにかされているようには見えない。池の近くは土で盛り上がっており、草花が生えている。花は白い色で、草は土を固めるようにその周囲を埋めていた。あとは用水路に流れる道が出来ているくらいである。池は透明度が高く、水底が綺麗だ。
「でかいため池だな」
「ため池、ですか?」
「農業用水に使ってるだろコレ。手入れもされてる。……その割にこんな場所、ね」
やっぱりここだな、と山田が呟く。なんと尋ねようか横須賀が言葉を探す内に、山田は社に進んでいった。
社はさほど大きくない。赤い鳥居をくぐれば賽銭箱と鈴、赤と白で編まれた紐、木戸にかけられた注連縄、両脇に丸い石像。木造の社の扉が障子であることは物珍しかったが、それくらいだ。
「山田さん」
「あ? なんかあったか」
横須賀がそろりと石像の丸い部分をなぞる。随分昔からあるのか見づらくなっているが、ぐるりと円を描くように文字が彫られていた。山田には見えないかもしれないが、指の腹で撫でながら文字を読む。
「子、丑、寅、卯……十二支、が彫られてます。それと、花の絵、ですね。あとは、なんだろうこれ……蛇、じゃなさそう、ですね。道かな……ええと、人差し指くらいの幅でこう、」
「紙と鉛筆貸せ」
「あ、はい」
横須賀の撫でていた石に受け取った紙を当て、横に倒した鉛筆で山田がこする。左上に存在するのが花の絵で、花弁の中央から道のような川のような、なにかが出て、広がっていく。広がった先になにがあるかというと、特に何もない。彫りが少しずつ浅くなって、無いことが当たり前に感じるような形になっている。
説明の文字はない。左右だからもう片方に文字、というわけでもないらしい。一応ほかの場所にも視線をやったが、特に関係しそうなものは見当たらなかった。巡り池のほうに、祠らしきものがあるくらいか。とはいえ、祠に説明が書いてあるわけもない。
「もう一枚」
「どうぞ」
山田から紙を押しつけられ、入れ替わりのように新しい白紙を渡す。反対側の石像を山田がなぞれば、逆順で描かれている十二支が浮かんだ。花とよくわからないものも、先ほどとは逆の位置にある。左右で対象に置いたデザインなのだろう、ということくらいしか横須賀にはわからない。
山田の言うように社を調べればわかるのだろうか、と考え覗き見れば、山田が池を見ていることに気づく。
「なにか探しますか?」
見ることがお前の仕事だ、と再三言われてきたので、横須賀にとっては当たり前の言葉かけだった。山田の手にある紙がかさりと音を立て、唇の端が僅かに下がる。ぱちくり、と瞬いた横須賀に、山田は二枚目の紙も押しつけた。
「いい。どうこうできるもんでもネェからな、中入ったらガキに媚び売っとけ」
媚び、という言葉に横須賀は少し戸惑うように視線をさまよわせた。出来ることがないのなら言われたことを頑張りたいと考えはするが、しかし媚びを売れ、と言われてもどうすればいいのか正直横須賀にはわからない。
横須賀は使われる側の人間だ。使ってもらえることに感謝して人に従うことは好きだが、しかし自分からなにかする、ということにはどうにも慣れていない。そもそも自分がしたことで喜んでもらえる事なんて思い浮かばないし、出来たところで本や資料を揃えるくらいだ。しかしあれは横須賀への感謝ではなくその書物を記した人の偉業に対する感謝なので、やはり媚びなどとは別だろう。
その中でも特に子供は身近にいなかった存在なので戸惑いは大きくなる。なけなしの経験で言えば、祖父の友だったという人が年に一度祖父の遺した書庫を整理するために孫である少女を連れて出入りしていたことくらいか。それでも歳は四つしか違わなかったし、更に言えばその少女は歳の割に聡明利発だった。
年に一度の短い時間、歳下の少女には教わる事ばかりだったので、好意的に見てもらおうだとか楽しんでもらおうとしたことはない。そういえば叶子も外見だけで言えば彼女と同じくらいの歳見えた。そこまで考え、横須賀は少し胸苦しさに少し意識して短く呼吸を一度する。