3-7)警告
「よろしくお願いします、出来ることはしますので」
「何かをするのはこちらの仕事です。くれぐれも勝手に事を起こさないように。アンタに出来ないことだからこそ、こっちは依頼をするよう促したんだ」
顔を上げた代田の言葉に、山田はそっけなく言い切る。ともすれば失礼な言葉であったが、代田は眉を下げるだけで不満を見せはしない。
そんな代田からぐるりと視線を動かし、山田はやや大仰にあたりを見渡した。祭り会場の方向で視線を止めれば、代田もそちらを見る。
「そう言えば祭りの中心は青い花と聞いた気がしますが、先の話では出ませんでしたね」
山田が代田を振り返り尋ねる。サングラスで目元がわからないとは言え突然かち合った視線に少しだけ身を強ばらせた代田は、ああ、と微笑んだ。
「青い花といいますが、実のところこの時期に咲く花があるわけじゃないんです。池に昔咲いた、という話がありますが詳しくは存じません」
すみません、と代田が頭を掻く。それからそのまま右手を伸ばし、代田は提灯を指さした。
「ただ、あの青い提灯が花の代わりを担っているそうです。……そうそう、祭りでは火気厳禁で、煙草もだめなのでお気をつけてください。唯一許される火が青提灯で、夜には光源がそれだけだから綺麗ですね」
「火気厳禁。ああ、紙にも書いてありますね。他に青いなにか、とかありますか? たとえば飲み水とか、本とか」
「私が知っている範囲ではありませんね」
少し考えるように視線を上に動かした代田は、あっさりと答えた。すみません、と重ねられた言葉に、山田はいえと短く返す。
「とりあえずは十分です、有り難うございます。ここにずっといても不審がられるでしょうしお戻りください」
「はい。……よろしくお願いします」
念を押すように頭を下げ、代田が来た道を戻る。来た時とは反対に増える足跡を見送りきったところで、山田が口を開いた。
「やることは決まっている。あとは時間との勝負だ。きびきび動け」
「え」
やること、と言われても、横須賀は聞いていない。唐突な言葉にぽかりと口を開けて山田を見るが、山田はまっすぐ前を向いているので目は合わない。
「他人が居たら言え。代田かんなが居るかどうか見てわかるとは限らネェし、他の連中でもまあ把握だけはしておくつもりだ。それさえすればテメェは付いてくるだけでいい」
「えっと、はい。わかりました」
判断は山田がする、というのは、山田が度々言う言葉だ。素直に頷いて、あたりを見る。今の所、特に人影はない。目的地を言わずに歩き出す山田に、横須賀は続いた。
「前も言ったがテメェに懐いているガキがいたら、どんな状態でも即教えろ」
山田の言葉に、横須賀はびくりと身を固くした。叶子をあの時、どうしようもできなかった後悔が昇る。同時に、自分がそんなことを考える烏滸がましさも自覚してしまう。それでいて、なにかざらりとした感情も。
山田にとって叶子がどのような存在なのか、横須賀にはわからない。警戒しているというのはわかる。お薬、と、無邪気に言ったその原因となれば当然だ。
けれどもあれは、本当に叶子の問題なのだろうか。男の声、叶子の言葉。
ただ、山田は以前言ったことにもかかわらず改めて言った。ならばそれだけ山田にとって優先度が高いのだろう。
緑と叶子の笑みが重なって、横須賀は鞄の紐を握りしめた。
「はい、わかりました」
声が固い。それを指摘するかのように、山田が足を止めた。振り返り、横須賀を見上げる。山田のサングラスを見ると、いつもそこにのっぺりとした自分が映るのを、横須賀は見つけてしまう。
山田がやや大げさに、長く息を吐いた。
「もしあのガキに躊躇いだとかなんだとか、テメェの感情があるなら帰れ。アレに関わっていけば見たくもねぇこと見るはめになるのは確実だ。愚図は邪魔にしかならネェんだ、事務所整理してろ」
「見ます」
山田がぞんざいにいいながら手を内から外に、追い払うように振る。それを視界の端に入れながらも、横須賀は短く答えた。猫背をさらに丸める横須賀を見、山田は笑いともため息ともつかない息を吐く。
「役立たずは捨てる。テメェの目は役立つから使うがな、そこ忘れるんじゃネェぞ。あのガキについては何も考えるな。変に懐かれてるみてぇだからそういう意味でも便利っちゃ便利だテメェは。自分の立場忘れんなよ」
鞄の紐が歪みねじれる。遠目には開いたこともわかりづらいほどかすかに開いた唇は、しかし息すら吐き出すことなく閉じられた。そのまま数度動いたものの開かれることは結局無く、横須賀の顔が地面と水平になる。
山田の手すら見えないような猫背に山田は眉間の皺を深くし、静かに息を吸い込み拳を固めた。続いてその拳を包むように左手で握る。そうして聞こえみよがしのため息を吐きながらその拳を二度三度と握り直し、息を吐ききると固く拳を握ってもう一度今度は短く息を吸った。ぐ、とその拳が斜め上に軌道を描く。
「返事はどうしたデカブツ」
「……っ! あ、は、はいっ」
横須賀の鳩尾に山田の拳が入る。小さな手は二人の体格差も相まってちょうどその場所にはまりこむように鈍くのめり込んで、横須賀は体をこわばらせてさらに体を丸めた。
とはいえ、痛みはそれほどない。少し咽るようになった程度のもので、殴られた場所を押さえながらも返事を空気と一緒に吐き出した横須賀を、山田が見上げる。ぎゅ、と握り込んだ横須賀の左手はアイロンのきいた薄い青色のシャツに深く皺を作った。
「俺が役立たずと判断したらその時点でテメェは事務所だ。どの件でもな」
「……はい、すみません。有難うございます」
痛みに唇を噛みしめて横須賀が答える。山田の眉がやや水平ぎみに寄った。それからいつものように眉尻が上がり、口の端がつり上がる。
「……ほんとテメェはおかしなやつだな」
「え?」
「聞き分けがいい奴は便利って話だ。都合良くいろよ」
嘲笑じみた呼気と一緒に、山田は短く言い捨てた。物言いはあまりに自分勝手だ。けれども横須賀にとって、その言葉は救いだ。山田が笑っているということは許可を貰えているようにも思えるし、便利、という言葉は横須賀にとってひどく安心する言葉と言える。
山田の言葉はいつも真っ直ぐだ。理解できないことでも、山田の中に芯があってなにかしらの基準に基づいているのだと横須賀は思っている。だから他人からすれば横暴な言葉も、横須賀にとってはすべて有り難いものだった。そもそも事務職として雇われた横須賀が、役立たずと判断されても仕事を残してもらえているだけで有り難い。目として使ってもらえるのならとこの場所にいるが、山田の否定は最後の最後までではないのだ。
故に横須賀にとってその言葉はいてもいいと言われているようで、礼を言うことは自然だった。痛みは自身の不足で、それだけですむことは喜ばしい。
だからこそ山田の言葉の真意もわからないまま、横須賀はほんの少し安堵した。役立たずと判断されることは不安なので鞄の紐を握る手はまだ固いが、その不安と礼は別のものなのである。改めて歩き出した山田の背中を見て笑むと、横須賀は鞄を右肩に深くかけ直した。時刻は九時三十二分。時間の期限を、横須賀は知らない。
「……そういやテメェ、火、持ってるか」
「ひ?」
突然の言葉に、横須賀は首を傾げた。持っているようには見えねぇな、と山田が呟き、横須賀はようやくその意図を理解して頷く。
「すみません、持ってません」
「だろうな。まあいい、俺が持ってる」