台詞の空行

3-6)嘘吐きの理論

 慰めるような言葉に、代田が小さく息を吐いて微笑む。働き盛りでは難しいですしね、と山田はその言葉を肯定するように呟いてまた顔をノートに向けた。

 ページが音を立ててめくられる。左手で斜めに立てるように持っていたノートのノドをそのまま押し広げると、右手はノートを撫でるようにしながら右下に落ち着いた。次のページをさするように持ち上げて、山田がまた口を開く。

「奥様のご両親は?」

「二十六年、前だったかな……妻が高校生の時に、流行病で亡くなったと聞いています。可哀想に、妻だけが無事だったようです」

「……わかりました、有り難うございます」

 山田の爪がノートの端をひっかく。山田が開いたページに代田が少し気にするように視線を送ったが、しかし代田の場所からでは見づらいだろう。

 開いているページは代田の家を記した場所だ。元々横須賀の文字は清書しなければ美しいとは言い難い、高い筆圧と小さめの文字なので机に広げても相変わらず見づらいかもしれないが、一応付箋や赤や青と言った色で補助しているので気になる点は目に入りやすいはずだ。それを防ぐために斜めに持っているのだろうか、とまで考え、しかしそうするとノドを開いた理由が思い浮かばないまま、山田がノートを閉じるのを見る。

「過去の新聞やこちらの祭りについて調べられる場所はありませんかね」

「過去の新聞はさすがに、図書館まで降りないと……祭りについてなら、公会堂にあるとは思いますが」

 言外に難しいだろうと言うように、代田が眉をひそめた。ちらりと向けられた視線は、先ほど代田の家のあった方向を見ている。

「承知しました。それらについてはこちらでどうにかしましょう。それと、動く前に貴方と私たちの関係を決めておきましょうか」

「関係、ですか」

 代田が伺うように繰り返す。ノートを膝上に置いた山田が代田を見据えれば、代田の背筋が伸びた。

 関係です。そう静かに復唱を肯定して、山田の手が机の上に乗る。両手を組んだ山田が、両肘をそのまま机につけて少しだけ体を前にした。

「奥様は知っていますが、黙っておいてくださるとしておきましょう。正直疑ってもキリがない。これからは情報を流さないことだけ決めておけば良いです。すでに知っている情報についてはバラされるかどうかまで憂慮しても無意味だ。どうせどのような状況であれ動くしかありませんしね。無駄なことは出来るだけ削ぎましょう」

「わかりました。ええと」

 伺うように代田が言葉を探す。山田が出入り口の扉を一瞥した。

「いくら畑に来ないだろうとは言え、私たちが貴方の畑に駐めていること、貴方の家に行ったことは事実です。この事実は客観的に他人が見て取れるので、隠してはいけません。嘘を吐いたことになってしまう。嘘を吐くコツのひとつは、最低限、です」

「最低限」

「嘘は未来の自分を担保に借金をするようなものですからね。短期間で踏み倒すものでないのでしたら出来る限り少量で。そうでないと、自分の吐いた嘘で自分の首を絞めることになる。貴方が希代の天才ならお願いしますが、失礼ながら貴方は極々普通の方だ」

 山田の言葉はただただ当たり前を並べるように、単調なリズムで流れていく。責めるわけでも、宥めるわけでもない。事実を確認する、それだけのような調子の言葉だ。

 どう返せばいいのかわからないのか、代田は山田の言葉を聞いて首肯するだけだった。

「嘘はできるだけ私が吐く、のが無難と思います。貴方は私が探偵と知っている。こちらについては、そうですね……祭りに興味があると自分に交渉してきた。報酬としてささやかな謝礼金を提示されている。別の人間から依頼があって、その関係で捜し物をしているらしい。何を探しているかは知らないが、この祭りに手がかりがあると考えているようだ。そう聞いていることにしましょう」

 山田の表情は、後ろからでもサングラスで見えない。山田の条件をメモしながら山田を伺うようにすると、山田が横須賀の方を向いた。

「デカブツ、この条件はメモすんな。今メモした奴は寄越せ」

「え、あ、はい」

「テメェはテメェを仕事しろ」

 山田の潜めた声にメモを剥がした横須賀はすみませんと頭を下げた。自分ではなく代田を見ろとの忠告だろう。一応横須賀自身はどちらかをみても全体を見るように努めてはいるのだが、それでも確かに山田の方に気がいっていたので改めて代田を見る。

 代田自身は山田の言葉を自分の中に入れようと必死なようだ。素直に言葉を口の中で復唱しているのか開ききらないものの唇は揺れていて、瞼がぱちりぱちりと動いている。倉庫の中は最初に見たとおりさほど広くなく、見て取れることはあまりない。それでもなにか――横須賀はなにもわからないからこそ、山田の指示を内側で繰り返した。

「一番は、まあバレないことですがね。貴方は探偵から口止めされて、黙っていることにした。そういう前提条件の中で追求されたら、先のような設定を元に回答してください。そうですね……祭りの中で、貴方は娘の成功を祈っている。そちらについても気にかけると言った探偵に、貴方は謝礼金の件もあってそれならばと頷いたとしておきましょうか。こうすればほとんど嘘がないし、黙っていてほしいと言われた貴方はよくわからないまま従った被害者にでもなれるでしょう」

 山田は淡々と言葉を続ける。事務所でオカルトについて語った時よりも明確な言葉で、それでもどこかあの時と似た色で。

「貴方は幸い祭りを深く知らない余所者だ。こちらはこちらで調べるが、尋ねられたら知っていることを素直に説明する。そのことにも違和感はないでしょうね。もし何かあったら倉庫を選んだのはこちらとしてください。貴方以上の余所者がこちらです。聞かれたときはまず貴方自身を守ることを優先して答えるように」

「ですがそれでは」

「貴方の依頼は娘だ。こちらはそれを守るが、今の説明にこちらのほうもあまり嘘はないですよ。電話でもお察しされたとは思いますが、こちらにはこちらの事情がある。ついでではありますが、貴方が貴方自身を守りさえすれば寧ろこちらは楽なものです。失礼を承知で言いますと、無い頭で下手に言い訳を重ねられ知らないところで借金が嵩む方が面倒だ」

 この条件は別に優しさではありません。そう言うように山田が最後、凄むように言い捨てる。代田の眉間に皺が寄る。視線を下に向けたまま、代田は頭を下げた。

「……よろしくお願いします」

「理解が早くて助かります。そちらからの質問はありませんか」

 山田の言葉に、代田が視線を右下、左下、それから自身の家の方角に瞬きごと動かす。ややあって完全に閉じた瞼が、持ち上がる。

「はい、大丈夫です」

「宜しい、なによりです。こちらもひとまず貴方からは結構だ。勝手に動き回りますが、知らん顔しておいてください」

 山田が紙を手にして立ち上がる。あわてて横須賀も立ち上がり、椅子をしまう。代田が立ち上がるのを見て、それから山田の視線が時計に向かった。

「文字盤が鏡文字ですね」

「え、あ、ああ。昔からある時計です。これがあるから加護があるとか」

「加護、ですか」

 山田が復唱する。代田は困ったように頭を掻いた。

「私にはよくわかりませんが、どうにもこの地域の風習、みたいですね。家の時計は普通ですし、昔からあるものなのでそういうものかな、と思ってます」

「……畑ですし畑の加護ですかね。そういえばここらの畑には案山子などがないようですが」

「ああ、なんでか獣害がないんですよね。ちょうどここは、土地の境に近いんですけれど。ここが若草、むこうが火野で、それくらいの距離なのにここは無事なんです。まわりの人は若草が加護されているからだなんて言ってます。ほとんど変わらないんですけど、土かなにか違うんでしょうかね」

「そうですか、不思議ですね」

 それだけ言うと、山田が扉に手をかけた。ぐ、と力が入るのと、続いて木の鳴く音。

「ここの倉庫は私たちが使っても構いませんか?」

「あ、はい。大丈夫です。鍵も特にかけませんので、ご自由に」

「有り難うございます。ではこれからこちらはこちらで動きますので――連絡はコイツが受けます。なにかありましたらご一報を」

「はい、ええと」

 少し考えるように代田の声が籠もる。ややあってかぶりを振った代田は、深々と頭を下げた。