台詞の空行

3-5)廻魂祭り

 山田の物言いは、代田の言葉を信じているともいないともわからない素っ気ないものだ。その癖話を止めるような冷たさもない、常温の水じみた音。

「十三年に一度、祭りの度に子供が一人いなくなるようなものが繰り返されてきた。その癖貴方がギリギリまで知らずにいたということは、警察が介入して問題視されるような事象までになっていない。あくまで、地元にある根拠のないうわさ話みたいなものと考えられるでしょう。逆に言えば、それが本当なら婿入りした貴方ですら気づけないくらいに内側の話になっているということ、だ。そう考えれば、貴方の警戒に意味はあるとも言えます」

 山田がそう言って、足を組んだ。ぎ、と椅子に体を預け、代田を見上げる。

「さて、他に言うべきことはありませんか? 我々がすべきはお嬢さんの保護ですが、祭りについて出来る限り子細に知らねばなりません。余所者の貴方がどこまで知っているか分かりませんが、言い残しをされると面倒だ。それと、なにかその祭りについて調べられる場所があればそれが知りたい」

「ええと、そう、ですね。社に泊まる前日までの十日間、娘は社に捧げられた水を飲むように、と言われていました」

「水?」

 山田が聞き返す。はい、と答える代田の目は伏せられている。しかしそれは悲痛と言うよりは思い返すような所作で、閉じた瞼は小さく動いていた。

 水、という単語に、横須賀はペンを強く握った。お茶を飲んだという女性。オミドリサマ。薬、と言った叶子。浮かんだ単語を押し潰そうにも、左手のひらに虫が這うようなぞわりとした震えを持つ。かゆみともしびれとも違う感覚から思考をずらしたい。けれどもままならなさは、ぎ、とペン先を紙に強く押しつけることで歪んだ。水、という文字は、その字に似合わず酷く重い、ノミで削るような文字になってしまう。

「九日からですね。廻り池神社に娘は毎日通うように言われました。夜が明ける前に廻り池の水を神社に供え、夜が更ける前にその水を飲みに行くように、と」

「夜が明ける前と、更ける前」

 山田が繰り返す。十歳の子供がそんなに朝早くからと考えると途方もないことのようだ。そんなことを十日間。まるで指摘するような復唱に、代田は眉をしかめて頷いた。

「十歳の娘にそんな難しいことを、しかも十日も。流石にそれは厳しいのではと言ったのですがそういう取り決めで皆やってきたと言われ……娘はよくやったと思います。夕方の五時半頃、廻り池から水を汲み、廻り池神社に水を供え、朝三時に水を飲む。……といっても、まさか池の水を本当に飲ませることはないとのことです。深夜に入れ替えをしているとのことでした。曇っていても同じ時間です。雨は幸い降りませんでした。最後の十九日、水を飲んだ後娘は巡り池神社の社に泊まっています」

「水を供える時ではないとはいえ、雨の中お嬢さんが社に泊まるとは心配だったでしょう。幸い降らなかった、ということは、先ほどおっしゃっていた荷物を運び入れたのは娘さんが泊まるタイミングですか?」

 山田に、花田市若草の二週間分の天気を確認するように言われたことを思い出す。

昨日の夕方に降ったとされる雨のころにかぶっていれば遭遇した場合幸い、と山田は聞き返したのだろう。山の中だから事前にだろうか、と思いながら書き出した内容のすべては覚えていないが、確か昨日の夕方から深夜、雨が降っていた。他は代田が言うように、晴れか曇りだ。今は確認しないが、メモ帳の前のページに時刻と合わせてメモしたはずである。多少ずれはあるかもしれないが、地面が濡れているから雨が降ったこと自体は間違いない。

「衣服については、娘が自分で運んだのでおっしゃるタイミングです。写真については、提灯と一緒にお渡しした形なのでその前ですね。とはいえおっしゃったように我が家にその提灯は飾られていないんですけれど……。飾り忘れとかではなく、そういうものだとのことです」

「実行委員側の負荷が大きいですね。他になにか貴方が関わったものはありますか?」

「……関わったというか、したこと、という感じですが。ええと、日付的には今日ですね。二時頃にお水を。組長がいらして、水を一杯飲むように言われて飲んだ、という感じです。お猪口に一杯、一口分ですね」

 これくらいの、と、代田が手で大きさを示す。直径で代田の人差し指と同じか、それより小さいかくらいのものだろう。

「他には特になにもありません。そもそも、神社の中どころかあの子が泊まる社すら私たちは見せてもらえていないんです。あの子がどうなっているか、知る手段がないまま、私は」

 最後の言葉とともに、机の上で拳が堅く作られた。ややあって解かれた後も指先はぐりぐりと互いを握り押している。そうした所作の後、代田は一度息を大きく吐くと山田を見た。

「他には、外出時間の取り決めがあったくらいでしょうか。特に私はなにもしていないので、そういう決まりとしかお伝え出来ませんが――町内では九日からずっと、零時から五時までは外に出ないようにと言われていました。新聞配達とかはありますし、この地域に限定した取り決めではないかと思います。あの子にあってはいけないのにそんな深夜から早朝に出かける用事を持たないので特に不便はしませんでしたが、不思議だなと思っていました」

「聞いてはいましたが、色々と取り決めが多い祭りのようですね」

「はい、毎年行うものではないからなのかもしれませんが、少し気味が……」

 そこで代田は言葉を切り、顔を歪めたまま微笑んだ。飲み込まれた言葉は、それ以上出てこない。机に置いた紙に触れた代田は、微笑を呼気に混ぜた。

「準備などを見ると色々と不可思議なものは多いですが、廻魂祭りという催しだけで見るとそこまで不思議なものはないと思います。提灯を飾り、水を飲む。そうしたあとは小さな盆祭りとあまり変わらない印象です。夜に行われる祭りの会場も同じものですしね。
 祭り会場では抽選会を行います。そうしてから会長が神社に向かって、おしまいですね。……ああ、特別当選者が会長と一緒に神社に行く、までが祭りなのかもしれません」

「特別当選者、ですか」

「ええ。特別の特に当選の当で、特当と言ったりします。発表が二十四時で、ずいぶん遅いんですが大抵の家から家長が出ます。時間も時間ですし、店の片づけは発表前に終わっていて、家長以外はいません。自分の地元とは違うんだな、くらいにしか思っていませんでした。十三年前の時に娘と同じ立場だった子どもを、何も知らない私は知りませんでしたし、子どもが関わってたことを知った時驚きました。――それも、行方知れずになった子供だったなんて」

 正直に言えば、まだどこか信じられない心地です、と代田が疲れた様子で呟く。でしょうね、と答えながらも、山田は眉間の皺を少し深くした。

「前回の子供がいなくなった件について、貴方は知らなかった。ご結婚されたのが三十三歳とのことですから、前々回については参加も出来ていない。だから難しいとは思いますが、それでも他に、本当になにもありませんでしたか?」

「はい。なにも。……前回の祭りに出た子は、不幸にも夏休みに水難事故にあったと聞きました。ただ、今思えばそもそも夏休みにその子を見かけることはなかったような気がします」

「そちらのご家族について聞きたい。家はどちらです?」

 山田がとん、と机を指先で叩いた。ハッとしたように顔を上げた代田は、申し訳なさそうに首を横に振った。

「引っ越してしまったので家はありません。連絡先もわかりません。名字は、名取なとり。家長のお爺さんが将太しょうたさんで、ええと息子さんが確か史郎しろうさんです。子供は何君だったかな……男の子です」

「そうですか。それなら十分です」

 それだけ言うと、山田が横須賀を振り返った。なんだろう、と見返す横須賀に、手が差し出される。山田が見ているのは横須賀のノートだ。ぱちくりと瞬いていた横須賀は、それに気づいて慌てたように小さくすみませんと呟きながら山田にノートを渡した。

 山田の眉間に皺が寄り、しかしなにも言わずにノートを開く。代わりのメモ帳と付箋を取り出して、横須賀は代田を見る。少し戸惑ったような様子の代田はそれでも山田を縋るように見守っていた。

「そういえば、いろいろと動いているのが組長と実行委員のようですが、こちらはどのように決まってるんですか」

 ページをめくりながら山田が尋ねる。読みながら声をかけられたことに驚いたのか、あ、と小さく声を上げた代田は、それから困ったように頭を掻いた。

「すみません、あまり詳しくなくて……基本的に、組長はローテーションです。だから実行委員もそのような形なのかな、と」

「会長もですか?」

「多分、そうだと思います」

 自信なさげに代田が答える。山田は顔を上げてニコリと笑い、少しだけ肩を竦めた。

「代田さんはお若いですし、町内の集まりにでる機会もあまりないから仕方ないでしょう」

「ああ、はい。どうしても退職後の方が多いのもありますね」