3-4)依頼人の事情
「話、といっても実のところどこから話せばいいのかわかっていない部分も多いんです」
戸惑いを隠さない声と共に、代田は薄青色のB5用紙を取り出した。太字の行書体で記されているのは「
「本日執り行われる廻魂祭りは、十三年に一度、海の日に行われる祭りだそうです」
「こちら、写真をとらせていただいても?」
「あ、ああ一応コピーを持ってきました。抽選券があるので原本をお渡し出来ずすみません」
「いえ、あるべきものが手元に無いとなにか聞かれた時に面倒ですからね。コピー助かります。頂戴します」
代田が差し出した用紙は白い。薄青色の紙より少し癖が付いて見えるのは、原本よりも薄いからだろう。よくあるコピー用紙なので、どうしても皺が付く。
「十三年に一度、とは中々珍しいですね。大きな祭りでもないでしょう」
「ええ、私もはじめてこの地域に来たときは驚きました」
山田が机の端にコピーを置く。覗き見れば年数の記載があった。おそらくワードのテンプレートで作っただろう癖のある書式で、フォントのサイズは各枠に収まるようにしている為か統一されていない。おそらく標準は初期設定の10.5ptだろうが、そこを基準に小さくなったり大きくなったりしているのが見て取れる。そしてどれもフォントの種類は行書体で統一されていて、挿し絵にはソフトに元々入っているタイプのものが使われていた。
キャンプファイヤー、兎、提灯、池、花、猫。空いたスペースを埋めるように置かれた絵はサイズもバラバラだ。一番大きいのが池、次がキャンプファイヤーで、兎と提灯が同じくらい。花と猫が一番小さい。猫は丸くなって寝ているので、イラストによっては花より大きくなるかもしれないが、ちょうど丸い様が花と同じに見える。
「この紙は配られているんですか?」
「回覧板で事前に回ってきます」
「ほかに案内はあります?」
「あ、ええと、祭りの前に行う清掃案内ですね。組長他、実行委員が行うので立ち入らないようにと」
「立ち入らないように、ね」
代田の言葉に、少し含むような調子で山田が呟いた。復唱した言葉の理由がわからず横須賀は首を傾げかけ、しかし考えるなという言葉を思い出し慌ててペンを握り直す。
代田は山田の言葉をさほど気にしなかったようで、ええ、とあっさり頷いた。
「前回の時も同じ案内が来た、と思います。こういった清掃行事の場合、自分の居た地域では組ごとのローテーションだったので不思議だなと感じたので」
「そうですね。組長が一緒にということはあっても、仕事の多い実行委員と組長だけは珍しい」
山田と代田の言葉を走り書きながら、不思議、珍しいという単語を清掃に加える。横須賀自身はこういった地域の行事に馴染みがないので、へえ、という感情以外持ちようがなかった。
代田が少し顔を伏せ、原本の用紙をなぞるように見る。
「清掃も準備もほとんど彼らで行われます。婦人会や子供会も動きますが、それらは祭りで行う露店や踊りの準備です。舞台は実行委員が準備する」
短く吐き出されたのはため息だ。拳に力が込められ、少し揺れる。
山田の中指が左肘をとんとんと四度叩く。それから肘の上を撫で滑り、ゆるく組むように腕を握った。
「あの青い提灯もですか? 朝から中々忙しいことだ」
「ああ、いえ。提灯はもっと前からです。確か、九日だったかな」
「九日」
山田の復唱に、代田は少し固い顔で頷いた。
「青い提灯は、元々各家庭に一つずつあるものです。それを各家庭から町内会長の家に持ち寄ります。持ち寄るのはさらに前ですね。一週間くらい前から集めていたはずです。そうして集まり切ったそれら
「めぐりいけ。字は廻魂の廻ですか」
「はい。廻り池奥にあるのでおそらく廻り池神社という名前なのだと思います」
ひらがなで書いた下に漢字を付け加える。夜、神社、提灯。各家庭。単語ばかりが増えていき、なにからどう手を着ければいいのか横須賀にはわからない。整理するなら場所ごとがいいか、時間ごとがいいか。考えようとすると代田や山田が話し出すので、考えるなという言葉がなくても結局書く以外出来ないのが現状でもあった。
「――準備は、提灯だけですか?」
山田の言葉に、代田の体がびくりと震えた。
「祭りについて貴方が知り得ることがこれ以上ないのでしたら、守るべきお嬢さんのお話を伺いたい。私が感じている奇妙な違和感について、貴方は自覚しておりますね? 提灯が唯一無い家の、貴方は」
静かに、一音一音区切るようにして山田が言う。代田は体をすくませ両手の指先を固く握り、それからきょろり、とあたりを見渡した。代田の眉間には深い皺がある。
低い呼吸音と一緒に上下する肩。一度代田はうつむいて、しかし自身の指先を視界に入れるよりも前に瞼を固く閉じた。
「廻り池神社には、娘が居ます」
一文字のままの隙間から呟かれた篭もった声は、その表情と同じく固い。廻り池の文字の横に娘と記した横須賀は、手のひらのざらりとした震えを押さえつけるように一度ペンを固く握り、それからまたすぐ書けるように持ち直した。
ざらざらとした違和感はそう簡単に消えない。しかし、どうしようもない。
「お嬢さん――美幸ちゃんがそこにいるだけですか?」
代田の拳は固いままだ。ひゅ、と空気を吸い込む音が聞こえ、それからややあって口が開かれる。
「美幸の衣服と靴。それから、写真を全て。まだ十歳の子をあんな場所で、なんて」
また空気を吸い込むひきつった音。吐き出す量よりも多いのではないのかというそれは、おそらく代田の内心をそのまま示している。
「おかしいでしょう。そんなの、催事なんて大人だけでやるような、子どもがやるにしても日中だろうに、こんな。しかも物を、なんで写真まで。あんなの、あれじゃあまるで」
「……別に泣くのは構わねぇが、時間が消えるだけだぞ」
ひゅ、ひゅ、と繰り返される吸気音と震えた声を、山田の無感動な声が遮る。ひ、と再びひきつった吸気音とともに、代田が顔を上げた。耐えるようぐちゃぐちゃになった眉間や目元の皺の奥で、その瞳は確かに濡れている。
「電話でも言ったが、アンタに出来ることはいくつもない。その時間を使うなら好きに泣け、待ってやる。ただし結果どうなろうと、電話の通り俺の知ったことじゃない」
唇が噛み締められる。山田はそれを見てもやはりなにも表情を変えない。声の調子すら。苛立ちも呆れもなく、ただただ審判が言葉を待つように、無感情だ。
「わたし、わたしは」
「……まず、息を吐け。泣くにしても泣かないにしても酸欠で倒れられたら面倒だ。吐いて吸って脳を働かせろ」
山田の言葉に、代田が息を吐き出す。繰り返される呼吸音が少しずつ緩やかになる。それでも口を開く時、代田の拳は固く握りしめられていた。
「写真をすべて、なんて。まるで、あの子が最初からいないものとするようなことに不安になりました。十歳の子を社に泊めるだけでも恐ろしいのに。私には、この風習が理解できません。――そもそも、前回の祭りの時に同じように社に行った子は、その後行方知れずになっているんです。それなのにこんな」
「確かに、非常に奇妙な祭りですよね。子供がいなくなっているのなら、不信もある。電話でも伺いましたが、貴方はなぜそう従ってしまうのです?」
「……妻が」
ぽつり、と代田が呟く。妻。知らないと言うことになっている、もう一人の親。
「妻が言うんです。決まってしまったことは仕方ないと。今回の件、実は、依頼をするのも随分止められました。あんなに美幸を愛していたのに、なんでそうなのか私はわかりません。何度も説得して、貴方の言葉もあってようやく、です」
理解できない。そう言うように深く吐き出されたため息を、山田は見下ろす。
「奥様は知らないことにしておく、というのは、奥様を巻き込まないためではなく、奥様がこの土地を裏切れないからですか?」
「裏切れない……そうなのかもしれません。私には理由がわからない。呼んでもいい、ただし娘を祭りからは外せない。そうなっているのだと言われました。なにか行動するなら教えるように、と。……妻は知らないことにして貰っています。が、私は、今、その妻に伝えることがそもそも恐ろしい」
「だから
代田が頷く。ふん、と山田が鼻を鳴らした。
「確かに今回が初めてでないのなら、奇妙なものです。もし子供がいなくなるのが前回だけでない、毎度のことだったらという雑な仮説を使うなら、ですが」