3-3)倉庫
「ガキは見たか」
「いえ、その、すみません」
山田の言葉に横須賀は申し訳なさそうに身を竦める。山田が眉間に皺を寄せながら振り返った。
「なんで謝るんだ? いないもん見ろなんて言わネェよ。馬鹿にしてんのか」
「え、いえ、違いますすみません」
慌てて答えながらもまた謝る横須賀に、山田はしかしそれ以上言及しなかった。は、と短く笑うように息を吐くと一度代田の家を振り返り、またすぐに前を向く。
「ガキの気配は」
「わからなかった、です。靴も無かったので、外に遊びに行っているんでしょうか」
「サンダルも靴もねーんだぞ、どっちかは普通余るだろう。ガキだからサンダルねぇって説も考えられなくもないが、自転車はあのままだった。そもそもガキの気配が自転車しか俺には見つからなかったな。テメェはどうだ?」
「俺も、その、わかりません」
「だろうな。風景の写真はあるのに子供の写真もない。夫婦の写真がないからまだ浮いてねぇが、可愛い盛りなら無駄に飾るだろ。撮って飾らない理由があるならまだしも」
「撮ってない、とか」
山田の言葉に、横須賀がつるりと言葉を落とす。控えめな調子で出されたその言葉を拾って、山田は眉を潜めた。
「ガキだけを? そりゃ流石に有り得ネェだろ」
「ありえない」
不思議そうに復唱した横須賀に、山田は怪訝そうに振り返る。いつもの猫背で鞄の紐触れている横須賀の顔は、やはりいつもと同じ――いや、それよりも。そのきょとんとした不思議そうな顔は、気の弱い取り繕った顔よりもひどく無防備だった。
山田の眉尻が少し下がる。和らいだと言うよりはその素の顔につられたと言うべきか。半拍ののち、山田はふいと前を向き直した。
「俺が依頼を得たのは代田が子煩悩だからで、だからこそその考えは有り得ない、と俺は考えている。それがどうってわけでもねえが違和感は把握しておくつもりだ。ムラ社会と言うべきか、ここは閉鎖的なとこがあっていくらか面倒だから警戒するのは自然だ。今回祭りでの協力者が出来てラッキーだった訳だが、協力を得られた理由が子供なんだ。その子煩悩な親が子供の写真を残さねえのは不自然と考えるのは普通だろ」
馬鹿かテメェ、と吐き捨てた山田に、横須賀はああ、とようやく合点が言ったというように頷いた。
「そうですね。考えが至らずすみません」
山田が前を向いている状態では頭を下げても見えないのだが、それでも横須賀は自身の至らなさに頭を下げる。山田の言葉を聞いてようやく、確かに、と横須賀は納得した。横須賀自身写真に詳しくないが、それでも飾られていた写真は場所を記録する為と言うよりも好きなものを撮っているという様子に見えた。それなら、子煩悩な人間が写真を撮らないという選択肢は非常に少ない。
「……いや、そもそもテメェには考えるなって言ってあったな。俺の発言が矛盾していたことになる。疑問に思えば聞け、テメェは考えないでいい。見たもんそのまま伝えることに意味がある」
ふと続けられた山田の言葉は、素っ気ないものの静かだった。一定の音で告げられた言葉を反芻し、横須賀はゆるりと笑う。有り難うございます、と心底有り難そうに呟かれた声に山田は答えず、大股で来た道を行く。
砂利から泥に道が変われば、山田は器用に先ほどの足跡に新しい足跡を重ねる。山田の歩幅は一定で、子供が白線を踏んで歩こうとするよりもよほど自然に、背筋を伸ばしたままさくさくと先に進んでいる。
横須賀と言えば猫背の為足跡をなぞること自体は難しくないものの、しかし一定の歩幅が難しく、途中つっかえつっかえしながら山田に倣うように先ほどの足跡を踏んでいった。別段そうしろと言われたわけではないのだが、あまりに当たり前のようになぞっていくのでなんとなく、だ。
車の場所までそんな調子でたどり着くと、山田がトラックに近づく。その後を追い、山田の隣で同じように荷台をのぞき込む。来た時と変わりはない。ふと、山田と目が合う。とはいえサングラス越しにその目元は見えないので、正確にはサングラスに映った自身の顔と、だが。
「できるだけテメェの見たことを書き出しとけ。代田が来たら、ヤツの話を聞きながらメモししろ」
「はい」
明確な指示の後、すぐ山田の視線は外れる。それを合図に、横須賀はリングノートと下敷きを取り出した。出先ではおそらくまとめる時間はない。移動させやすい意味で便利な為、念のため付箋も出した方が良いだろう。このあたりは、横須賀の習慣のようなものだ。
一枚だけ引き出したルーズリーフに付箋を等間隔に五枚ずつ貼り並べ、ノートに挟む。おそらく話を聞きながらではマーカーの手間までは増やせないので、ペンは使いやすいように赤・青・緑・黒のボールペンにシャープペンシルも併せ持った多機能ペン。一本はノートに、一本はポケットに。ポケットの方は、無難な黄色い蛍光ペンを一緒に添えた。ついでに消しゴムも一応入れておくが恐らく使わないだろう。横須賀はつい、念のため、をしがちだ。
山田の邪魔にならないように三歩倉庫側に下がり、ノートを開く。まず忘れないようにと先ほどの家の中について、見たものを書き連ねる。走り書きなので読みづらくなってしまうが、記憶力に自信を持てない横須賀は残すことを優先する必要があった。
部屋で見たもの、部屋以外の家の様子、話を聞いているときの代田の様子。それらに分けて目に入ったすべてを単語に落とす。まず大きなくくりでそちらを書いて、横須賀は山田を見た。
「先に読まれますか?」
「ああ、寄越せ」
「はい。読みづらいところがあったら教えてください。ペンはいりますか?」
「おう」
鞄から厚手のクリアファイルを取り出す。破った一枚の紙にポケットから出した多機能ペンと蛍光ペンを加え渡す。山田は蛍光ペンを左手に持つと、シャープペンを紙の上に滑らせた。横須賀も紙に向き直る。
三番目に小さい長方形の付箋紙をノートに貼り、『済』と記した隣に山田に渡した分の項目をメモしてから、改めてノートにペンを走らせる。家の周辺や来た時のこと、ここに至るまで見たもの。来たときについては書いてあったメモを取りだして、車の距離や時間を記載する。
そうしてようやくこの場所について記載しようと顔を上げると、代田の姿が見えた。時計を見れば八時二十三分。時刻を記入しながら、横須賀は山田に声をかけた。
「代田さんがいらっしゃいました」
「ようやくお出ましか」
書きだしたページを破る。付箋の済にさらに追加して、山田に差し出せば、山田はそれをクリアファイルに挟んだ。
「お待たせして申し訳ありません」
山田たちが顔を上げたことに気づくと、足早に近づいて代田は言った。歩幅は狭いものの急いた様子での謝罪に、山田はいえ、と短く答える。
「足が悪いのにここまで徒歩では大変だったでしょう」
「いえ、歩くのは大丈夫です。座るのが少し大変なだけなので――ああ、申し訳ない。今倉庫を開けます」
「お願いします」
取り出された鍵はリングに付いており、倉庫に差す鍵の他に三つ垂れ下がっていた。
ぱっと見て二センチ程度のものが一つ、三センチ程度が二つ。倉庫に差された鍵は代田の手の中でわからない。二センチ程度のものにだけ、白の丸いシールが貼ってあるのがわかった。
「中にどうぞ」
山田が一度、あたりをぐるりと見渡す。つられるように横須賀もあたりを見るが、特に代わりはない。遠くの畑に鳥がいるくらいだろうか。横須賀は鳥に詳しくないので、それがカラスや雀でないことくらいしかわからない。
遠方の畑、鳥二羽。八時二十六分。ひとまずそれだけ記入して、倉庫に入る。二人が倉庫に入りきると、代田は同じようにあたりを見渡してから扉を閉めた。
「祭りは三時からですが、この日は畑仕事を控えるという取り決めなのでおそらく人はこないと思います」
部屋の中、まず目に入ったのは奇妙な時計だ。文字盤が反転している。鏡があるのかと思ったが、そういうわけでもないようだった。
「埃っぽくてすみませんが、お座りください」
促されるまま、山田が椅子に座る。横須賀も開かれた折りたたみの椅子に。山田が座る前に一度椅子を撫でる。畑の倉庫ではあるが、机も椅子も意外と綺麗であった。代田の言葉は、所謂社交辞令というやつだろうか。
「……娘のこと、お願いします」
固い声で代田が改めて頭を下げる。山田は背筋を伸ばし、それを見下ろした。
「その為にも貴方にはお話いただく必要がある。ここでまともに聞けない場合は、申し訳ありませんがこちらのすべきことも変わりますよ」
「わかっています」
「それならいいんです。コイツにはメモを取らせますので、お話は貴方のしやすいように」
顔を上げた代田と山田の視線がおそらくかち合った。にこり、と山田が笑う。
「では、お話を聞かせていただきましょうか」
カチン、と、時計が鳴った。