3-2)代田
「一応、見たもんはメモしておけ。提灯は気にしなくていい」
「あ、はい」
慌ててメモ帳を取り出し、ペンを走らせる。古くなって灰色に褪せた木製の表札の下には郵便受け。箱型の物なので、中に何かあるかはわからない。引き戸の扉は一センチほど隙間が開いている。そうして玄関周りを記しきると、次は先ほど観察した場所だ。一度見たとはいえ間違いがないように改めて確認しながら順繰りに文字にする。そうして思いつく範囲を書き終えたところで、自転車の傍にいた山田が横須賀の傍に悠然と近づいた。
「中に入る。ついてこい」
「はい」
しかし、インターフォンに手を伸ばしかけたところで、山田が止まる。
「どうしました」
問いに、山田は顎で扉の隙間を示した。先ほど横須賀も目視していたのでとりあえず頷くと、山田はそのまま扉を開ける。引き戸はガラガラと音を立てた。ノックもせず突然響いた音に横須賀は身を竦める。ついそのまま周囲を見るが、特に人影は見えない。来る途中も見かけなかったのだから当然なのだが、反射のようなものだ。当たり前にいない外の代わりに、視線を前に戻せば廊下の奥から男が顔をのぞかせた。
「山田です」
「あ、ああ、どうぞ入ってください」
玄関には大きな運動靴、中くらいの婦人靴。サンダルが大中とあり、あがってすぐのところにスリッパが掛けられている棚があった。
山田が靴を脱いで、下駄箱だろう棚の下に入れる。そのまま玄関にあがるもののスリッパについては一瞥のみで、そのまま歩いて行ってしまった。取り残されたスリッパと進む山田を見、横須賀も慌てて靴を脱ぐ。
山田に倣って靴を下駄箱の下に入れるが、山田と違い横須賀の靴は大きく、縦に入れると靴先がはみ出てしまう。どうすればという逡巡は、しかし結局中に行く山田に遅れすぎないようにと焦る心地に置いて行かれた。
部屋にはいると、中央あたりに机がある。一番奥の角に置かれたテレビの前よりで、部屋の角を利用して作られたテレビの上の棚には貯金箱や光で動く人形、音が鳴り出しそうなぬいぐるみ、艶やかな木の色のこけし。そうしてテレビの反対側には、台所の入り口だ。目立つのは大きな南側の窓で、朝にも関わらずまだ雨戸が閉まっている。
男に促されて山田が机の前にある座布団に胡坐で座る。横須賀も同じように促されその斜め隣に正座した。
「足を崩してください。こちらも失礼ですが足がよくないので、足を崩させて貰います」
「えっ、あ、ありがとうございます」
男の声にあわてて返事をした横須賀だったが、しかし崩す、との言葉に少し戸惑うようにもぞもぞと動く。
胡坐をかいたことが無いわけではないが、そういう態度は横須賀にとって落ち着かない。かといって体育座りでは目立つし、女性のように足を横に崩すのは横須賀の骨格では出来ないことだ。
結局礼を言うだけでそのままの横須賀に男はそれ以上はなにも言わず、山田に向き直った。
「改めまして、代田
「電話でお話させていただいた探偵の山田太郎です。この男は助手の横須賀。……名刺は邪魔でしょうね。奥様は?」
「妻はその、知らない、ということに」
口ごもるような代田の言葉に、横須賀は不思議そうにその顔を見た。眉を下げ、視線を斜め下に。申し訳なさそうな表情は、言葉と同じ色をしている。知らない、ということを願い出ることの後ろめたさ。
依頼人は代田大樹であることは事前に聞いていた。年齢は五十二歳。妻のかんなが四十歳で、娘の美幸が十歳の三人家族。子煩悩だという情報もあわせて聞いていた為両親の依頼なのかと勝手に思ってはいたが、山田と代田の取り決めについて横須賀は知らない。申し訳なさそうなのだから、本来は妻も一緒の予定だったのだろうか。
「……ああ、失礼しました。そうですね、私の依頼主は代田大樹さんです。それで十二分だ。この度はご依頼有り難うございます」
とはいえ、山田に責める色も問いを重ねる様子もない。山田にとっては想定内なのかどうかまではわからないが、山田が問題視しないことを横須賀が気にかける必要はないので、そういうもの、という理解だけで良い。
「その、本当に」
代田の手は落ち着かなそうに自身の手を握ったり開いたりしている。右膝をたてて少し高い厚手の座布団に座っているので、そちらがあまりよくない足なのかもしれない、と横須賀はそれを眺めた。そうしてその立てた右膝に押しつけられている両手は、せわしないだけでなく動きが固い。瞳は山田を見ず、自身の膝を見るかのようにうつむいて落ち着きなく動いている。
「お嬢さんをお守りします」
静かに声を潜めながら、しかしはっきりと山田は言い切った。代田の顔が上がる。
「お願いします。……実のところ、妻はもう諦めてしまっているのです。そして余所者である私には、何が起きるのか、どうすればいいのかすらわからない。わからないんです」
縋るような声に、山田が頷く。代田の眉間の皺は深く、下がった眉は悲痛だ。口元は戦慄いているが、それでも山田の表情を受け、静かに顔を伏せながら息を吐きだしている。
守る。仕事は娘のお
そうして代田のため息が消える頃に、山田が口を開く。
「まず、祭りの概要について教わっても? こちらの知っている情報と照らし合わせて、どうやってお嬢さんをお守りするか話しましょう。部屋はこちらのままでよろしいですか?」
は、と再び顔を上げた代田は、慌てたように背筋を伸ばした。
「ああ、お気遣いが足りず……。お手間おかけしますが、こちらでなくお車をお止め願いました畑の倉庫でもよろしいでしょうか。その、ここだと」
「奥様にご迷惑がかかりますね。お願いします」
「……はい。他に何も無いようでしたら一度移動をお願いします」
代田が立ち、山田も立ち上がる。横須賀は二人に続くようにして足を崩し立つと、もう一度部屋を見た。エアコン、扇風機。壁に貼られた花、海、空、猫の写真。電話機の乗っている本棚の最下部には、アルバムが園芸の雑誌や料理の本と一緒に入っている。
国語辞典、家庭医学書、電話帳。おそらくパンチで開けた紙をまとめるタイプの紙ファイル。電話機の横にはメモ用紙、ペン立てにあるボールペンとマジック、それとは別に電話機の近くに置きっぱなしのボールペン。回覧板の回覧順とその一部に電話番号のメモ。二十一日の日めくりカレンダーと十八日と十一日に丸のついた七月のカレンダー。壁には「十月六日定期検診」「九月二十日歯医者」の文字。片方は一文字一文字右肩下がりのような文字で、もう片方はバランスが整った文字だ。そして電話機のディスプレイには、留守録一件の文字。
それだけ見てとってから、横須賀は二人の後に続いた。廊下に面した扉はしまっている。階段の上も扉の向こうも明かりがついていないようで暗い。
代田が大きな運動靴を履く。山田が先ほどしまった自身の靴を引き出し履いて玄関をでる。二人が離れるのを見ながら横須賀も靴を履いた。大中のサンダルと婦人靴を踏まないようにしながら外にでる。
「先に行っています。畑ですよね」
「はい、お願いします」
山田の言葉に代田が頭を下げ、それにつられるように横須賀も頭を下げ返す。山田は二人の様子を一瞥もせず、先ほど来た道を歩きだした。その背を横須賀が追う。