2-17)正直者
「デカブツにはソレ、言うんじゃネェぞ」
「俺から彼に言う必要はないが、情報共有は大事なんじゃないのか?」
「アイツには考えるなって言ってある。あのクズの頭じゃ考えてもろくな事になんねーからな。考えるのは俺の頭だ。下手なこと考えてあの目が濁ったら元も子もネェ」
莢に残った残りの二粒もまとめて押し出すと、山田はそれを一つずつ口の中に放り込んだ。咀嚼する山田を見ながら、日暮は顎を撫でる。
「まあ必要がなければ言わん」
日暮の言葉に眉をしかめ手を拭いた山田は、しかし黙する。口の中の豆を嚥下しきると、ウーロン茶を二口ほど流し込んだ。日暮が焼き鳥に手を伸ばす。
とん。山田のウーロン茶が、視線を促すように机を鳴らした。
「必要かどうかは俺が判断する」
サングラスの向こう側、その視線の強さはわからない。それでもはっきりとした言葉は、店内には響かないのに目の前の日暮に真っすぐ届く。貫くような言葉の意思に、しかし日暮は相変わらず平然とした顔を向けた。
「彼に必要かどうかは彼の判断だろうし、俺が必要かどうか考えるのも俺の判断だがな」
言い切って鳥を食べる日暮に、山田が舌打ちをした。しかし相変わらずと言うべきか、この店に来てからも日暮の表情は一度も変わらないままだ。舌打ち程度でどうとなることもないのは山田も十二分にわかっている。
「そのテメェの判断でこっちに不利益が出たらどうするってことだ。まあいい、言う言わないをこっちで制限できるもんでもねぇし頼み込むつもりもねぇ」
「お願いします日暮さん、と言ったら考えなくもないが」
右頬に鶏肉を貯めながら口元を隠して日暮が平坦に言う。声のトーンすら変わることのない日暮に対し、今度は山田も表情を変えなかった。
「無意味で保証されねえ取引にもならん交渉に乗る気はネェっていうかやらねーのわかってて言ってんだろ眼鏡」
「イレギュラーが無い限りは保証するし、そっちが条件満たせばこちらも満たすというのは取引だろう」
「……テメェにメリットねえだろその取引」
「お願いされれば嬉しい」
会話の合間に咀嚼していた鶏肉を飲み込んで、日暮が言いきる。嬉しいという単語の似合わないその顔を見、山田が息を吐いた。ため息と言うほど感情はないが、しかし相手に呆れを示すためのその呼気に、日暮は眉すら動かさない。
「謝辞程度で嬉しがれるのはさすが警察様ってあたりだな。向いているこって。とはいえテメェの感情にも冗談に付き合うつもりはネェしテメェの勝手にしろ。ふざけた冗談も含めてデカブツに言うのを止めろ、とは言うがテメェの行動はテメェのモンだ」
「彼は中々正直者だな」
「テメェと違って真面目でジョークもわからネェお子様なんだよ」
「俺も真面目だぞ。それに必要のない嘘もつかない。真面目で正直者仲間だな」
淡々とした調子で日暮が言葉を返し、刺身に箸を伸ばす。山田はそれに答えず、足を組んだ。少し背筋をそらし、背丈では見上げているというべき状況にも関わらず見下ろすような態度で日暮を見る。
「そっちは結局どうすんだ」
「正直現行犯で無いと厳しい。なにせ遺体は残らず溶けてしまっているからな。液体じゃどうにもならん」
醤油に刺身をつけて、日暮が言う。かつ、と鳴ったのは箸だ。刺身はそのまま醤油の中で染まる。
「にしてもあの液体、分けてくれても良かったんじゃないか」
「こっちはこっちで調べる手段がある。持ってきたのはデカブツだしテメェ等に渡す義理なんざないな。一応今の所はただの液体でしかない、ってことだけは言っとく。DNA鑑定しようが無駄だ。人間だった証拠は残っていない」
「そうか」
醤油に浸った刺身を日暮が持ち上げる。ぽつ、ぽつ、と落ちる滴を縁になでつけ口に入れ、三回ほど噛むとそのままウーロン茶で飲み込んだ。
「とにかくそこが繋がらない限り証拠が残らない現状で下手につついても危険がある。赤月は親戚付き合いがほとんどないのに加えて息子もああだ。病院でまだ治療を受けているようだから彼になにか無いように目は配って置くが、現段階で出来るのはそれくらいだな」
「その新山の妹の線はどうだ」
「彼についてこなかったんだろう? 難しいな」
山田の言葉に日暮はあっさりと返す。山田は組んだ足を下ろし、少し考えるように顔を伏せた。
「アイツの話でいけば虐待――いやもう十九なら児童ではねえな。普通に傷害罪でいけねえのか。知的に遅れがあって暴力があるならそっちで介入すんのはどうだ」
「新山の妹は知的障害の認定を受けていない」
「先天性じゃねえのかソイツ」
日暮の言葉に山田が顔を上げる。日暮がやや大げさに肩を竦めた。
のっぺりとした顔とちぐはぐではあったが、日暮なりに内心を伝えようとしているのだろう。短く息が吐き出される。
「生まれたときに障害があった様子はない。発育の遅れもなかったようだな。そう言うわけで少し彼女も彼女で厄介なんだ。当人が助けを求めない限り現状難しい」
「ご立派な警察様で」
「すまない」
は、と嘲笑する山田に、日暮が静かに謝罪を落とす。山田はそれに答えず豆腐に箸を伸ばして、小さく切り離した。
「彼女についても気をつけようと思うが見つけることが難しいんだ。もしそちらで情報が入れば流して欲しい。力なくてすまないが、出来る範囲を見つけたい」
「別に刑事さんが謝ってもなんも変わんネェだろ。警察、がそういうもんなんだ」
「そう言いきらないでくれ。全部が全部そうではないし努力しているところもある。切り捨てられるのは悲しい」
表情を変えないままなので日暮の感情はやはり読みとれない。そうして吐き出された言葉に、山田は先ほどの日暮の真似でもするように肩を竦めた。
「ま、俺にとってはどっちにしろ関係ないね。あのガキについては俺も見つけちゃいねーんだ。デカブツが見つけて、それがアンタらを使えばこっちにメリットあるような状況なら教える。いつものことだ、情報は貰えば渡す。無駄なこと気に病むより欲しがるならそっちもいい情報寄越すんだな。テメェの感傷に付き合ってやる気はネェよ」
それだけ言って山田が豆腐を口に入れる。日暮は「ああ」と小さく頷いて、豆腐を崩し運んだ。
二人の関係は、関係と言うのも言い過ぎる程度のものだろう。日暮が個人で調べた情報を流す代わりに、山田は他の情報を渡す。刑事としての日暮が渡せることは微々たるもので、日暮が山田から情報を得るために声をかけたのが最初だったか。
日暮が渡すのは一般人が調べてもいつか手に入る程度の情報で時間の短縮でしかない。プライベートと言うが、どこまで本当にプライベートなのか山田は推察するつもりもなかった。向こうにとっては、新規情報を得るためのパフォーマンス。山田からしたらただの効率化。
だから山田にとって、日暮がどうであろうと関係ないのだ。日暮の感傷ではなく、情報が必要なだけである。警察を揶揄はするがそれ以上を求めないのと同じように、日暮にどうこうといった感情はない。
「他に情報はネェのか」
豆腐を飲み込んで山田が聞けば、日暮は刺身に箸を伸ばしたところだった。皿の縁で止まった箸は、ややあって刺身を掴む。
「まだ現状はどうしようもない。新山の付き合いについては刑事の仕事だ。山田の情報によっては流せるかもしれないが現状調べたところで情報を渡すにはならないだろう。個人で調べるには仕事になりすぎている」
それだけ答えて日暮が箸を進める。食事に本腰を入れ始めた日暮に、山田は予想していたのか表情を変えなかった。残念がる要素もなく、豆腐を小さく切り離す。
「まあ寄越さねえなら別にいい。こっちの邪魔さえしなければな」
「邪魔をしているつもりはない。山田も守るべき市民だからな」
日暮の言葉に、山田が小さく笑う。言葉にされなかった声が聞こえてしまったのか、日暮が箸を止めた。伸ばしかかっていた箸を手前に戻し、伏せた顔で眺める。親指の腹が箸を撫で、くるりと回った。
「新山病院も、出来る範囲で気にかける」
「それは聞いた。わざわざ何度も言うんじゃねえよ、一度言えばわかる」
「ああ」
表情が変わらない日暮ではあるが、ひとところに視線を落として言葉少なになればさすがに内心がわからない訳でもない。さきほどの感傷とあいまって示されるそれを山田は指摘するつもりも同情するつもりもなかった。守るべき市民という発言に新山のガキはどうなんだ、という言葉を重ねなかったあたりで山田の心情はわかりやすいだろう。
山田にとってそれは事実でしかない。必要があれば揶揄して相手の良心を責めるが、目の前の交渉相手には必要ないどころか邪魔ですらあった。他人が責めようが感傷しようが変わらない事実にわざわざ関わることほど、無駄なことはない。山田にとってそれが、一つの現実だ。