2-18)プライベート
「新山についてはこっちも調べるツテくらいある。テメェは取引相手のひとつでしかネェんだ。赤月のガキと新山のガキになんかあればテメェらがなんとかするならデカブツが多少マシだろうしな。あのアホならテメェら警察が見てるとなれば簡単に安心するだろ。今時珍しいくらい鵜呑みにする奴だ」
「ああ」
「俺は別にガキどもや新山になにかあったら教えろとは言わねえ。いつものことだろ刑事さん。代わりに俺も招待状の詳しい内容についてはテメェらに教える気はネェよ。現状これで仕舞いだな」
打ち止めとでもいうように言い切って、山田は組んでいた足を下ろした。そうして豆腐を切り食べる山田を見ながら、日暮はもうひとすくい程度になっていた豆腐に再度箸を伸ばす。
「今はプライベートだ。……相棒と食事はしているのか」
「しねぇよ。バーには連れていったがそれだけだ」
「山田は飲むのか」
「わざわざ頭を馬鹿にする気はネェな」
食事をしながらとすとすと言葉をかける日暮に対し、山田は豆腐を飲み込む合間に答える。投げやりな言葉ではあるが一応返ってくるそれを受け取り、日暮は何度か頷く。
「食事はしないならしない方がいいだろうな」
「毎回情報提供に食事ぶちこむ癖に本当テメェ訳わかんねぇな。そんなに飲み食いしたきゃバー紹介するぜ? 情報さえあればいい」
山田がそっけなく言うと、日暮は少し動きを止めた。それからひどく大げさに眉をしかめてみせる。他が能面だからやけに浮いた表情に、山田が喉を鳴らして笑った。
「色男が苦手ってのが変だよなアンタ。あそこはいい美人が居るんだぜ?」
「自分より背の高い色男が、だ。ヅカみたいに背の高い美人ならまだしもアレは男だろう。仕事でないなら行く気はないな。山田から誘われたら行かなくもないがそもそもデートに他人を挟むなんてややこしいことするつもりもない。手紙を渡すのに従者を使うような時代じゃないんだ今は」
「俺は仕事相手と顔合わせなくていいならそれでいいんだがな」
くつくつと笑う山田に、日暮がのっぺりとした表情のまま焼き鳥をほおばる。その会話が仕舞いと言うような所作に、山田はにやにやと笑いながら残った枝豆に手をつけた。
「美人は見てるだけで目が幸せになるっていうのに珍しい奴だな」
「山田は色男がいいのか」
「いや? 一般論だ」
「なら俺は一般論が当てはまらないにしておいてくれ。美人は落ち着かん」
日暮の眉間から皺は無くなっていたが、しかし平坦な声を補うように長く吐き出された息を聞いて山田が少しばかり肩を竦める。
「んな警戒しなくてもリンはノンケにゃ手出さねえよ。今もデカブツを気に入ってはいるみたいだがそれだけだし、そもそもノンケじゃなかろうが仕事相手に手つけるほど落ちぶれてもいねぇ。性的嗜好が人格に影響するとかアホなこと考えているなら失礼ってもんだし、もしも恋人になったとしてもアレは相手に一途な可愛い真面目な奴だぜ」
「性的嗜好は関係ない。手を出す出さないじゃなくて俺が自分より背の高い色男は落ち着かないだけだ。そもそもさっきから言ってるように、俺だってデートは直接誘うしラブレターも直接渡す一途な男だぞ」
「そういう言葉選びしている時点で一途が聞いて飽きれんだがな。デカブツが聞いたら真に受ける」
山田が吐き捨てるように言うと、日暮はその様子をしばし見てから無感動に口を開いた。
「彼は本当に正直で素直なんだな。親近感が沸く」
「口縫われても文句言えねぇぞテメェ」
日暮の言葉は普段とかわらず平坦だが、それでも明らかな棒読みと感じられる程度の言葉選びである。とはいえ普段の口調との違いを見つけられないのだから日暮に対してその平坦さを指摘する気は山田にはなく、しかしその真剣味のない言葉に苦言とでも言うように罵りを吐き捨てた。だが言われた当人はやはりどこ吹く風で、正直な感想なんだがななどと言っているあたりでこれ以上の会話は無駄だろう。
皿と小鉢を空にした山田は、おしぼりで手を拭いてウーロン茶の残りをあおった。氷が溶けて薄くなったそれを飲み干し、再度手を拭いて伝票を手に取る。
「山田」
立ち上がりきるのを止めるように日暮が声をかけた。しかし山田はその声に従うことなく、日暮を一瞥することもない。席を立ちテーブルの横に出てから、ようやっと山田は日暮を見た。
「なんだ刑事さん」
「プライベートだ」
お決まりのように否定を返し、それから日暮はトントントンと指先で机を叩いた。山田のサングラスは日暮を映すがその目の色を教えない。日暮の眼鏡には山田が写るが、日暮の目はサングラスのようにレンズで覆い隠されることはないのにのっぺりと無感動だ。
言葉がないのなら、と伝票を掲げかけた山田に、日暮がぱかりと口を開く。
「道を間違えれば豚箱行きだぞ」
「ハッ、毎度毎度ご忠告どうも」
日暮の爪がテーブルをひっかき、拳を作る。対して山田は唇の右端をつり上げて笑うだけだった。のっぺりとした能面のような顔と真っ黒いがらんどうの瞳は、それでも山田を見据えている。
「……お前の相棒だろうがまとめて連行することになる」
「お節介なことで」
山田が嘲笑と一緒に吐き捨てるように返す。地面に唾を吐くように下を向いた山田は、しかしすぐに顔を上げた。
「アレは俺にとって便利な目だ。使い潰してイカレちまったら捨てるし、必要なモンが揃っても捨てる。アンタが気に病む事なんてなんにもネェよ刑事さん」
ひそめられた眉と持ち上がった口角が伝えるのは、くだらないものを見下すような嘲りだ。じ、とそれを見た日暮は、表情を変えないものの口を開く。
「彼は相棒なんだろう」
「便利な目だからな。使い勝手のいい道具さ」
「相棒ならそう簡単に捨てられないものだ」
「アイツはちょっと特殊な奴でな。俺には丁度都合がいい拾いモンなんだよ」
山田の言葉は別に日暮を煙に巻くため口から出したでまかせというわけではない。そのものずばり横須賀を示すものだ。
横須賀の本質は使われることに終始している。逆に言えば、使われなければそのままでもある。
自己が薄すぎるその性情をわざわざ日暮に伝える気はないが、山田はあの背丈の割に猫背でやけに小さく見える男を思い浮かべて笑った。
都合がいい。それは山田にとっての横須賀を示す一番短く一番適切な言葉だ。
「そう都合よくいくわけないだろう」
だから日暮のその言葉は横須賀の本質をなにも見ていない空虚な言葉で、山田にとってなにも意味を成さないものだった。少々お人好しすぎて厄介なものにまで手を伸ばしそうになる割に結局自分になにもできないことをわかっているのが、横須賀一という男である。結局新山叶子を無理矢理助けることすらできない、手を伸ばせない人間。
横須賀のその性情を山田は非難するどころか好ましいとすら考えている。多少情で馬鹿なことを考えたとしても、自分の駒として手のひらから落ちることのない便利な人間を山田は他に知らない。理想的、とすら言えるだろう。
それ故に日暮の言葉は馬鹿げた理想論じみていた。そんな理想、横須賀一という人間には当てはまらない。しかし山田はそんなことをこの場所で論じるつもりなどなかった。
「都合良くいこうがいくまいが結局のところ俺が捨てればまだマシだと思わないんですかね。アレが俺に使われるのをアンタの部下は随分警戒していたんだ。安心するのが筋じゃネェのか」
本質を知らない人間との会話ほど無意味なことはなく、それ故停滞する部分を飛び越えるようにして山田が言う。日暮はその言葉に眉間の皺を寄せ、あの大げさな表情を作った。
他の表情を知らないが、抗議するという意味ではこれほどわかりやすいものはないだろう。当人の感情はどうであれ、伝えようとする意志ははっきりと見える。
「お前が道を間違えなければなにも問題はない」
「そもそも正しい道なんてどこにあるんですかね、刑事さん」
山田が問いかけるが、日暮は答えなかった。鼻で笑った山田は日暮の視線を受けたまま肩を竦める。これで仕舞いだ。
今度こそ席を離れる為にせわしない店員の横を山田が通り過ぎても日暮はなにも言わず、食事に向き直ったのを横目で確認する。レジに向かえばやけに声を張らせた店員が一瞬山田を見て表情を強ばらせたものの、すぐになれた手つきで会計を終える。
夜風が生ぬるい。
食事、といっても日暮とのそれは食事が目的ではない。半端に胃に落としただけでは膨れることはなく、しかしウーロン茶でごまかした分わざわざそれ以上新しくなにかを食べようとは思わない。横須賀のようにメモをとる習慣のない山田は、頭の中でこれまで得たものを並べ立てる。
いくつかすでに答えに近いものは見つかっている。しかし、一番不透明なものは結局日暮からも得られなかった。招待状だけがきれいな形で山田の元にある。浮かぶ影は、まだ尚早。勝手な想像は情報を曇らせる。
「やることは変わんネェよ」
は、と吐き捨てるように笑った山田は、その笑い声にすら隠されるような声で小さく呟いた。それを聞く人間はここに居ないし、聞かせる相手もいない。
風だけが生ぬるくそこにあり、だから結局、ただそれだけだった。
(第二話「うつわ 後編」 了)
(リメイク更新:)