2-11)警察
「調べれば庭の土に色々まざってんじゃネェんですかね? 死体が残ってないのは状況的にあり得るが、とはいえ何もなかったと言い張るなら確実に新山病院は意図して隠している。どーするんですかね刑事さん」
「庭については調査しよう。山田が証言してくれればもう少し大手を振って調査できるんだが、それは無理なんだろう?」
「人が溶けたなんて真に受けるのはアンタたちの部署くらいだ。ややこしい手続きに巻き込まれるのはごめんですね。教えてやっただけ感謝されてもいいくらいだ」
「感謝する。赤月秋、だな。他には」
は、と笑う山田に、日暮が答える。ぐるり、とペンが円を描いた。位置からして、赤月秋とメモした名前に丸を描いたのだろうとわかる。
山田の顔が少しだけ動く。なにをみようとしたのか横須賀が見えない視線を追いかけようとするが、それは結局叶わなかった。その視線が横須賀の方を向いて止まったからだ。そしてすぐまた、日暮に向き直る。
「おそらく変なモンに手だしてやがりますね、新山病院は。赤月が接触していた人間に痩せぎすの女がいる。名前は鈴木。よくある名字でしか知らないのでそれ以上は出ませんよ。……こんなところでいいですかね」
山田の言葉に日暮が浅く頷き手帳を閉じた。
「ああ、有り難う」
最初とまったく変わらない抑揚の無さで礼を言い、日暮が閉じた手帳の小口部分を人差し指で二度叩く。
「新山病院については調査中だが、なにかあれば声を掛けてくれ。警察は市民を守る為にある」
「せいぜいお仕事頑張ってくださいね刑事さん」
日暮の言葉に山田は首肯しない。代わりに肩を竦め、口角をつり上げると鼻で笑った。平塚が山田を睨む。
日暮の右手親指が小口をずらすように一秒弱撫で、それから手帳がポケットに仕舞われる。左胸ポケットを中指が叩き、降りた右手がそのまま同じ指で小さく大腿部側面を一度叩いた。
「小山にはこの後伝えておく。……新山病院には暫く目を入れている。名前だけは十年弱、ちらほらあった。調査はここ三年で五回。どれも問題無し」
「今回は問題有りですよ」
「しかし尾が掴めなければ意味がない。泳がせようにも見る場所がわからないからな。なにかあったら教えてくれ」
「グレさん」
平塚が声の調子を落として日暮を呼ぶ。しかし日暮は平塚を一瞥しただけで、平塚は結局メモ帳を握りしめ視線を落とした。
「……新山院長だが、元々院長の器ではないと言われていた。成績も悪かったし、いくら息子とはいえ難しいだろうと揶揄されるほどだった。それが今じゃ界隈では有名な立派な扱いを受けている。今言えることはこれくらいだな」
「後出し分の価値があることを願ってますよ。どうも刑事さん、小山刑事によろしくお伝えください」
日暮の答えを聞くより早く、山田が歩き出す。日暮はその背を視線で追いかけ、それからすぐ横須賀に向き直った。平塚とは反対に真っ黒い瞳が横須賀を映す。
「よろしく頼む」
「えっ、あ、はい」
なにを頼まれたのか判らないまま反射のように返事をして横須賀は頭を下げた。なにか言いたげに平塚がはくりと口を開け、しかし結局肩を落として噤まれる。
「刑事さん?」
その様子が気になって横須賀が声を掛ければ平塚の肩が揺れ、メモ帳がくしゃりと歪んだ。つられるように同じく体を強ばらせた横須賀は、先ほどの腕の痛みをつい思い出す。
平塚の視線が瞬きする度右下、左下、右下、と動き、それから真っ直ぐ背筋を伸ばし横須賀を見上げた。対する横須賀は申し訳なさそうに背筋を丸める。
「すみません、その、なにかあるのか、と」
「ああいや謝るな。別に君はなにも悪いことをしていないだろう。……なにか、いや、うん。そうだな」
しばらく考えるように顎に手を当て俯くポーズを見せた後、三度ほど平塚が浅く頷く。日暮は二人を見ているだけで何も言わない。山田は振り返らず先を行く。
「撤退は時に必要な策だ。君が山田太郎によって過ちを犯さないことを祈ろう。市民の味方、悪を断つ。この刑事平塚
やけに芝居がかった台詞を静かに平塚が口にする。そうして伸ばされた手は大きくて長く、綺麗だった。凛々しい眉と長い睫、真っ直ぐと目を見開いて上を向くから光を取り込んで輝く瞳はその芝居じみた台詞をきちんと自分の物にしている。
ひらつかあかね。口の中で名前を復唱しその視線を受けた横須賀は、ややあってああ、とようやく納得したように心内で頷いた。青年という言葉に違和感があった理由が全て名前に入っていたからだ。ワイシャツのボタンはネクタイで隠れているしジャケットを脱いでいるので分からなかったが、確かに彼女は女性だ。
「え、と、その、すみません、有り難うございます」
「悪さを今はしていないんだろう? なら謝らずとも良い。……っと、すまない邪魔をした。山田太郎も待ってやればいいのに」
がっちりと横須賀の手を握る力は強い。うまく握り返せもせず頭を下げて、その手が離れると横須賀は眉を下げてゆるり笑んだ。
「お気遣い有り難うございます。失礼します」
平塚と日暮に頭を下げると、横須賀は慌てて山田を足早に追いかける。山田がその音で横須賀を振り返り見上げた。
「気に入られたようだな」
「ええと」
気に入られた、という言葉に平塚と日暮をちらりと見る。平塚はまだ山田の方を見ており、日暮はすでに見ていない。
平塚の正義感が横須賀を気に掛けることがあっても、気に入られたとは違うのではないだろうか。むしろそう言う親しい言葉をいうのであれば――そこまで考え、しかし信頼という言葉に眉をひそめられたことは横須賀は思い出した。
「あ? どうかしたのか」
横須賀の中途半端な声に山田が尋ねる。どう答えるべきかと考えた横須賀の内側に、よく通る平塚の声が浮んだ。
「グレさん」
「あ?」
平塚の言葉をなぞるように横須賀が呟く。予想しない単語だったのか山田が少し眉を上げた。
サングラスで見えないがいぶかしむ視線を受けたように感じて、横須賀は瞳を揺らす。
「えっと、グレグソン、みたいと思って」
「グレグソン?」
眉をしかめて山田が復唱する。ええと、と困ったように言葉を探しながら横須賀は首に手を置いた。
「頭の二文字が同じで、刑事さんだったので」
といってもグレさんはあだ名で、本名は日暮だ。だから正確には日暮の場合頭の二文字ではなく末尾の二文字である。また顔などが似ているわけではなく、ある意味ごまかすための発言だった。山田が時折ワトスン、と言うのもある。
けれども山田は眉をさらに潜めた後、興味なさげに視線を正面に戻した。
「わけわかんネェこと言うなお前」
「すみません」
「まあいい。面倒なのに先にあったが情報はなんとかなりそうだな。このまま行くぞ」
「病院にですか?」
尋ねればため息が返る。呆れていると言うよりは面倒を押し出すようなそれに、横須賀は下を向いた。
秋やあの女性、叶子のこともきになる。それでも出る前の言葉が巡っている。
「まだ調査には早すぎるからな、新山については置いとく。女についてもあそこで話すのは得策じゃネェし見つけたらむしろ刑事使え。病院に行くっていっても刑事狙いだ」
「わかりました」
うなずく横須賀の声は少し固い。山田がまた息を吐いた。その意味を考える前に、山田が振り返り横須賀を見上げる。
「愚図が考えようとすんじゃネェぞ、邪魔だ。なんかあったら報告しろ」
俯いたままもう一度頷こうとして、声が喉にひっかかる。昨日の光景がなにかを追い立てる。瞼の裏で、自分すら溶けるような。
「返事はどうした」
山田が舌打ちをした音が響き、横須賀は一度口を引き結んだ。鞄の紐を握る手が白む。
「……はい、報告します」
横須賀の呟きに、山田は小さく笑った。