2-10)情報交換
「別にどうでもいいですけど名前が根拠なら全国の山田太郎に謝罪した方がいいですよ刑事さん」
「ぐっ」
平塚が言葉を返せず呻く。山田の声は先ほどから多少の呆れやそっけなさを含むものの平坦で、先ほどの日暮の抑揚の無さもあってか平塚の芝居じみた声や動きが浮いている。
なにか声をかけようにも横須賀は言葉を持たず、結局どうしようもなくなって山田を伺い見た。山田がその視線を受けるように、横須賀を見上げる。
「まあ証明がほしければそいつにどうぞ。免許証持ってるんで」
「あ、はい」
「他人に任せようとするな!」
山田の言葉にガルルと平塚が叫び唸る。財布を取り出そうとした横須賀はどうすればいいのかと鞄のチャックに手をかけたところでとまり、山田は肩を竦めた。
「え、と」
「あー、すまない驚かせた。君は必要ない」
必要ない。内心でその言葉を繰り返し、チャックにかけた手をどかす。行き場所を無くした左手を結局だらりとおろして、横須賀は下を向いたまま頭を下げた。
山田の身元を確認しようとしたのだ。確かに横須賀の証明など必要ない。かといって三人の会話に入ることもできないので、口を噤む。
「……無駄なことに時間を潰したな。刑事さん、そういやこんなところで何を調べているんです」
「山田に教えることなど」
「山田はなにを調べているんだ」
平塚の言葉を遮るようにして、日暮が問いに問いで返す。平塚は不満げに日暮を見るが、日暮が平塚を見ないままその大きな手を平塚に軽く掲げ見せたことで結局おし黙った。
「いつもとさほど変わりませんよ。まずは質問への回答をどうぞ刑事さん」
「こちらもいつもと変わらない。タレコミがあったので調査をしているだけだ」
日暮が手帳を取り出すと、山田が横須賀を一瞥した。一瞬理解が遅れたものの、横須賀も同じようにメモ帳を取り出す。日暮の視線はメモ帳と山田、それから横須賀の動く音で一度横須賀に向いたもののまたメモ帳と山田に戻った。
日暮の言葉のあと、平塚が北西の方を向く。見える範囲にあるのは民家、電線。ここからだと見えないが、そちらの方角には病院もある。視線は五秒弱でずれて、一度足下に。ため息でもついたのか少しだけ肩が上下して、それから山田と日暮を見、ポケットに手を入れ数度揺らすのを見て取る。
平塚の視線が落ち着いた頃、山田が北西を顎で示した。
「残り二人は病院の調査ですか」
山田の言葉に平塚が目を見張る。薄い唇が少し動き、しかし唇の端がぎゅ、と下がった。山田に問いかけられた日暮はなにも表情を変えない。平塚とは対照的だ。そうして日暮は示された北西側に視線を動かしたのち、また山田を見下ろした。
「タレコミは山田の身内か」
「さあ?」
「……身内じゃないなら何故知っているんだ」
平塚が歯を食いしばったまま隙間から唸るように呟く。日暮はそれを止めないだけでなく、一瞥すらしない。山田が笑った。
「あの病院がクサいってのを刑事さんがわかっているのに俺がわからない道理のがわからネェな」
くつくつと喉を鳴らすような笑いに平塚の指先が白む。ありありとわかる不満を煽るようにする山田とそれに噛みつくのをこらえる平塚、ただ見下ろすだけの日暮は一致しないのに何故か馴染んでいるようだ。
日暮のペンが、トントンと手帳を二度小さく叩いた。
「奇妙な事件があったとタレコミを受けたが、聞き込みをしたところそんなの誰も知らないとのことだ。病院関係者しかり、患者しかり。何が聞きたい?」
「病院関係者が知らないわけない事件でしょう。今二人が確認に行ってるんですねやっぱり。庭は確認したんです?」
「現在調査中だ。聞きたいのなら小山に聞け。新山病院にはいつから目を付けていた?」
「リョーカイです刑事さん。新山病院については残念ながらつい先日。小山刑事と
答えと質問がセットで入れ替わる。内容を簡単に走り書きしながら、横須賀は平塚と日暮を見た。
平塚は言葉の度に眉をしかめている。警戒するようだが日暮の言葉を止める様子はなく、しかし山田の言葉を探ろうとするようにじっと山田を見据えたまま、時折メモを取っている。日暮は相変わらず表情を変えていない。平塚に対して当初見せた、他人に伝えるために眉間に皺を寄せるといった行為もせずに平坦な顔で山田を見下ろしている。
日暮は山田が言葉を返す度にトンと一度手帳を小さく叩くだけで、他の変化を読みとることは横須賀にはできなかった。
「調査をしている、と答えれば十分か? 先日目を付けたということについて具体的に話を聞きたい」
手帳を広げている割に、日暮はなにもペンを走らせない。しかし山田はそれを指摘せず、日暮の言葉に肩を竦めた。
「十分ではありませんが回答としては良しにしましょう。しかし十分でないのに具体的に話を聞こうというのは中々ずるいですね。答えは簡易にさせていただきますよ」
山田の言葉に、日暮が黙る。先ほどまで手帳を叩いてたペンはしかしペンの頭がゆるりと揺れるだけで終わった。日暮の表情を確認するが、やはり変化はわからない。ペンがくるりと反転し、ペンの頭部分が山田の方に向いてペン先を親指が三度押し揺らす。それからもう一度反転したペン先は、また手帳の上に戻った。
「話の内容によってはもう少し話す」
「後出しはずるいですね」
「ずるい男は嫌いか?」
「卑怯者が大嫌いな部下に嫌われるのでは?」
山田が揶揄するように言えば、びくりと平塚が肩を揺らした。戸惑うようにきょろりと揺れる瞳が、日暮を見る。日暮はしかし相変わらず山田を見下ろしたままだった。
「山田が嫌わないなら問題ないな。部下からは好かれている」
「そうですか。では簡易にだけ」
日暮の言葉に山田は肩を竦めるだけで返す。そうしてから再び病院を見やった。
「病院については依頼人の子供が入院していた、最初はそれだけでした。依頼人がちょいと厄介な捜し物をしていたんですが、どうにも奇妙でしてね。最初は裏をとりにって程度のつもりでしたが……最終的に言えば、あの病院で死人が出ました」
死人という言葉で平塚が表情を強ばらせた。トン、と日暮が小さくペン先で手帳を叩く。
「依頼人の名前は」
「赤月ケンコ。赤い月に研究の研、子供の子。五月に赤月シュウ、季節の秋ですね。そいつが転院している。今回の件で転院したのか退院したのかはわかりませんね。ほとんど親戚付き合いもなく旦那もいない」
「赤月
日暮のペンがようやく書くために動いた。おそらく名前を書いているのだろう。シュウ君、としか知らなかった横須賀は、秋、と口の中で呟く。
「死人は」
「赤月
「は!?……と、失礼」
山田の言葉に平塚が声を上げた。おそらく素の声だろう裏返った声を慌てて手のひらで隠し、謝罪する声は堅い。