台詞の空行

1-16)違和感の答え

「貴方は見目に随分気を使っていますね。子供が病に倒れたという割には金銭的に苦労している様子はなにもない。ただの事務員にしては金銭面が不透明で、最初は子供を思ってという発言自体妄言かなにかと思いました。しかし、それは違う。シュウ君の病室がそのことを語っている」

「シュウは関係ない!」

「関係あるでしょう、あの子の病気を治す為に薬の依頼をしたのでしたら」

 咄嗟に体を乗り出し叫んだ赤月に、山田は薄く笑いながら指摘する。赤月の前傾に反った背筋が、すとん、と丸くなった。

「薬、が」

「ええ、薬。薬ですよ、ねえ。依頼者は何故貴方にシュウ君の薬をくれないかったんです?」

 赤月は答えない。

「黙っていても貴方がオミドリサマな時点でほとんど決まってるんです。そこは隠しても意味はない。ただ依頼者がややこしくてですね――新山はクロ。だとしてももう一人、外国の方とやらがおかしいんだ。コイツは誰だ」

「新山先生は関係ありません……」

「何故? じゃあ外国の方、の方についてもう少し詳しく教えていただけませんかね」

 赤月は瞬きを繰り返し、視線が左右に動く。唇が薄く開き、しかし閉じる。肩が少しだけ持ち上がり、下がる。必死に何かを考えているような様子に、横須賀は鞄のベルトを強く握りしめた。

 胸がざわざわする。

「外国の方について、は……あの人は、ただ、なにも」

 コツン、と山田の指先が座っていたベンチの板を弾くように叩いた。赤月の視線が上がる。

「いい加減にしましょう赤月さん。これ以上は無駄だ。どう貴方があがいても新山を庇えないし、外国人かもしれないとかいう人間について貴方が言葉を探すことも出来ない」

「庇ってなんて」

「新山がクロなのはすでに決定事項です。外国の方かもしれないとかいうに人間について話が聞けたらと思いましたが、おそらく貴方はほとんど知りませんね。新山を庇わねばならないと思う割に外国の方、とか思う人間については、どこを言っていいのか、新山を庇うために利用していいほど無関係ではないことしかわかっていない程度に知らない。だからそうやって、嘘を考えることすらまともに出来ていない」

 山田がノートを開く。クリップで留められていたコピーを撫でたのち、山田はこれ見よがしにひらりと掲げて見せた。

「新山病院は優れた脳外科を有しています。それだけで個人病院なら十分にも思えますが、広報誌にて、三月頃に新山が将来的には内科、精神科、神経外科、整形外科などについても力を入れていきたいと述べていますね。総合病院としてやっていくだけの力を得ていきたいと」

「……良いことではないですか」

「ええ、ええ。よいことです」

 赤月の言葉に、山田は口角を盛大に持ち上げて笑った。小さな顎、小さな顔をしている山田だが、ぎゅ、と左右に広げ持ち上げる笑い方はなにかのお手本のようにのっぺりと顔に張り付いている。

 サングラスで見えない目の代わりに物語るその口角は、そうやって大きく笑いを見せた後すぐに下がった。元に戻っただけなのに、それがひどく睨みつけてくるような色を感じさせる。

「三月二十二日の新聞を覚えているか」

「……いえ」

 それは嘘ではないだろう。しかし、どこか警戒するように、おびえるように赤月は山田を見上げている。依頼者と請負人という立場はすでにどこかにいっていた。まるで被疑者と追及者のような関係を、横須賀は見守るしかできない。

「三月二十二日、佐野病院で死人が出ています。二十七歳、働き盛りの男だ。所謂ブラック企業に勤めていたらしいですね。精神科に通っていたと記載があり、自殺未遂で十三日に入院したものの助からず、過労死と判断されています。この新聞記事には佐野病院からのコメントはありませんね。過労死という社会の闇についてふれる形で記事は完結している」

「それが、なにか」

「五月五日。新聞には新山病院が脳の治療の為の施設を導入した、とあります。それを受けて貴方がシュウ君を病院に入院させた、と考えるのが妥当でしょうが……」

 そこで山田は言葉を切った。赤月が視線を逸らす。

「そうお伝えしたはずですが」

 少しうんざりしたように吐き出されたため息。山田はしかし、再び口角をつり上げて笑う。

「流れを整理しましょうか赤月さん。……おいデカブツ、ペン寄越せ」

「あ、はい」

 どういうペンがいいのかわからないので、とりあえず横須賀は赤、青、黒のボールペンとシャープペンシルが一体になったペンを山田に差し出した。

 くるり、と山田の手の中でボールペンが回り、ノートの白いページが開かれる。

「五月五日、病院の記事。五月八日、シュウ君の移動。それから治療がまだ続いている」

 罫線を無視して、ざくざくと山田は線を区切っていく。横須賀から覗き見れるそれは、のぞこうとしない赤月から見えることはない。

「最近不思議な女を待合室で見る、というのもサイトにあった。ただこういう話題の最近はどこまで最近か、って話ですね。オミドリサマについてはもっと前からいたはずですが、隠れていたかどうか、ということについてはわからない」

「……最近の活動、です」

「じゃあ最近じゃねえな」

 赤月の言葉に、山田はくつりと喉で笑って言った。赤月が睨みあげても、山田は気にしない様子で線を引く。

「そもそもデカブツに声をかけた女が言っていた。『最初の時だけ、一週間。その後、二週間。それから二ヶ月とか一ヶ月ってばらけて、今は半年に一度』。ここから考えれば、どうあがいても半年はたっている。この時点でサイトの時期が宛にならないってのは確定されている。じゃあ、何故ここ最近姿を目撃されるようになったのか、だ」

 ざ、と書いた文字にかぶるのも気にせず山田は五月八日に丸をつける。

「実のところ、赤月さん。貴方が何故新山に使われたかはわかりませんがね、私はおそらく新山からの報酬として、シュウ君の転院ができたのだと思っているのですよ」

 とすとすとす、と、ノートを叩く音が響く。赤月の視線は動かず、山田の視線は相変わらずサングラスで隠れている。横須賀はどうする術も持たないまま、ただ両者の様子を見ていた。

「旦那と別れた貴方は、意外にも転院を繰り返している。新山病院に来る前は長く留まっていますがね。こちらは四ヶ月でしたっけ。確か名前は――佐野病院、でしたね。その間いい病院がないか探し歩いていたとおっしゃっていましたが、奇妙なことです。離婚して金があった、と考えてもいいですが、それにしても子供に金がかかりすぎる。そしてその癖、貴方の持ち物に貧困は見えない。もっと言うならまるでパトロンがいるかのようですね。だからはじめはシュウ君をなんらかの実験にでも売っているのかと思いましたが、貴方は悪い親ではなさそうです」

 山田の言葉は穏やかだ。それこそ奇妙にも感じるほど、ただただ静かに言葉が落ちる。嘲りも罵りもなく、ただひとつひとつ落とすように山田は呟いて、それから赤月をサングラス越しに眺めた。

「貴方が新山病院に来るまでに利用した三つの病院はすべて精神科を持っている。それが偶然かどうかについてはこちらが言う必要はないでしょう。関係しそうな死者の記事を探す時間はなかったので残念ながらこれ以上は見つかりませんでしたが、おそらくこれが答えです。
 『オミドリサマ』の薬は副作用を持たない万能薬というわけではなかった。新山はその薬をどうすれば一番効率よく使えるか貴方に試すよう指示を出した。そして貴方にその薬の効力を見せた上で、藍色の薬を探せばシュウ君が助かると伝えた。
 シュウ君の治療にはお金が掛かります。最初に話を聞いたとき貴方が信じたか信じなかったか、なんて些末な問題でしょう。おそらく『オミドリサマ』によって得る報酬は貴方の懐に入れていいと言ったでしょうし、そんな薬が無くてもこの近辺で新山の評判は高い。藁にすがる可能性は計算する必要もない」

 山田がノートを閉じる。タンッ、と響く低い音に赤月は身動きすらしない。

「ウチのデカブツに声をかけたお嬢さんは、おそらく成功例。ここ最近オミドリサマの話を新山病院で聞いたのは、その成功例に行った治療を他に試しても変わりないかの実験用でしょう。シュウ君に貴方が来る日を聞きましたが、一瞬土曜日と言い掛けていた。おそらく以前は土日に顔を見に来るいいお母さんだったんでしょうね。新山病院で数をこなす必要が出てから土曜日は止めたのでしょう。新山病院の目的と貴方の目的、実際の行動を考えていくと新山はクロ、で、貴方もクロだ」

 山田が立ち上がる。赤月の視線が、山田を追って動く。

 動いたその瞳は光が無く、力もない。

「答えろ。新山がなんで俺の事務所を指定した。外国の方ってのは誰だ。どんな奴だ。――そいつは日本人で、アンタの知らない言葉を言っていたんじゃないのか。名前を知らなくとも、なんでもいい。知っているモンを寄越せ。そいつの顔はどんな顔だ

「…………」

 はく、と赤月の唇が動いた。なにを言いたいのかわからず横須賀が耳を澄ます。

 ――しかし奇妙にもその言葉がなにか横須賀にはわからなかった。女性の声なのにやけに低く聞こえる、言葉と言うにはぐるりとすべて絡まる蔦のような、始まりと終わりがわからないような奇妙な音。それが上から、降ってくる。