1-6)新山病院
電車で移動して着いた先は、脳神経などを扱っている
「ぼさっとすんな」
「はい」
短い言葉に返事をすれば、山田は堂々と病院の中に入っていく。慣れない場所につい落ち着かない気持ちになる横須賀とは態度が――というより所作が違うというのだろうか。なんとか着いて行くだけの横須賀と違い、山田は当たり前の様子で看護師に声をかけた。
「赤月さんのお見舞いに来たのですが」
「……お見舞い、ですか?」
看護師の顔が少し怪訝そうに歪む。どこか不安も含んだ色の視線が山田に向き、上から下、下から上に動く。自分に向けられたわけでもない視線に落ち着かず、横須賀は首元を掻いた。
「少々、お待ちください」
看護師が立ち去る。自分より年上の看護師に声をかける様が遠目に分かる。もしかすると、と、横須賀はつい山田を見た。
横須賀自身、自分が随分と大きく少し人から驚かれやすいことは知っている。だから人のことを言えたものではないが――山田は目立つ。きっちりと固められたオールバック、室内にも関わらず外さないサングラス。白いシャツに赤いネクタイ、スーツの黒いズボン。一番気になるのは完全に目元を隠す黒いサングラスか。それにポケットに手を入れて歩くし――そこまで考えて、ふと気づく。今はポケットから手を出している。服装はどうしようもないが、一応山田も相手で態度を変えているのかもしれない。
とはいえ、外見の要素が変わる訳ではない。おそらくその要素が相手にとってネックなのだろう。看護師が話しかけた人物も、山田を見ると少し顔をしかめたようだった。
かといって横須賀がそれを補えるかというと、先ほど述べたとおり横須賀の外見もあまり好まれるものではない。そもそも横須賀は人に使ってもらうだけで、人に好かれる、ということは奇跡みたいな優しさの結果だとすら思っている。
そうして眺めていれば先ほどの看護師と年上の看護師が歩いてくるので、横須賀は慌てて頭を下げた。山田は特になにもしない。
「赤月さんから話を聞いていませんが」
「見舞いに行くのに事前にいく時間を伝える人などあまりいないかと。少し顔を見れたら十分ですので、病室を――二階でしたっけ? 部屋の番号を忘れまして」
「お手数お掛けしてすみません」
看護師達に見えない位置で、山田に背中を押される。反射のように頭を下げて横須賀は二人を伺いみた。最初に話しかけた看護師の表情は困惑。後から来た看護師の表情は毅然としている。
「赤月さんがこの病院のことを伝えたんですか?」
「はい。それまではシュウ君がこんなことになってるとは知らず――こちらに来る用事があったので、せっかくですしシュウ君に会いたくて」
すみません、とそこで申し訳なさそうに山田は頭を下げた。サングラスで瞳が見えない故に、下がった眉の形と小さな笑みを作る口元、軽く耳後ろに当てられた手が表情を見せる。
「サングラスは」
「ああ、室内だとやはり目立ちますか。申し訳ないです。実は弱視がありまして……見えないほどじゃないんですが、どうにも」
「それは……失礼しました。
「あ、はい婦長。ええと、こちらです」
最初の看護師が矢野、という名前らしい。彼女は困惑しつつも返事をし、後から来た看護師に頭を下げる。有り難うございます、と横須賀は矢野に頭を下げ、それから婦長と呼ばれた看護師にも有り難うございましたと頭を下げた。
山田は有り難うございます、の一言だけ言って、歩き出した矢野にすぐついて行く。頭を下げた分遅れた横須賀は足早に二人を追う。といっても歩幅が違うので、矢野が足早とはいえあっさり追いついた。
エレベーターで二階へ。通されたのは個室だ。
「こちらが病棟です」
そう言って、矢野は入り口に立っている。中をうかがう二人を見ているので、案内はされたもののまだ不審がられているのかもしれない。それとも、親戚とはいえ母親がいない状態なら目を離さないと言うことだろうか。首後ろを横須賀はとんとんと叩くと、少し困ったように室内を見渡した。
「シュウくん」
小さく優しい声で、山田がベッドの上に語りかける。横須賀には何の用途かわからないコードにつながった先、小さな体がある。
「……だれ」
ベッドから起きあがることもできない子供は、視線だけを動かした。おそらくあの状態では、山田の顔は見えないだろう。
「覚えてないかな。シュウくんが小さい頃、会ったことがあるんだよ。今日はちょっと寄ってみたんだ」
優しく、優しく。山田が声を出す。子守歌のような穏やかな声と、山田の見目はアンバランスだ。
「おぼえてない。おかーさんは」
「今日はいないみたいだ。いつもいつごろくるの?」
「ど……にちようび」
一瞬出かけた言葉を飲み込んで、シュウが答える。山田は身動きせず、声だけ優しげに傾げるような色を出した。
「どようびとにちようび?」
「にちようび」
問いかけにシュウは静かに訂正する。その表情は少しけだるげだ。
「そう。……ああ、ごめんね。つかれちゃったかな」
「ううん、だいじょうぶ。でも、ちょっと、ねむい」
「ありがと、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
シュウと会話を終えると、山田が横須賀のそばにくる。それから手を差し出した。
意図が分からず横須賀は首を傾げる。
「見舞金。封筒に入ってるだろ、出せ」
先までの優しげな声色がどこから来たのだろうか、と言うほど潜められた声に横須賀は鞄を開ける。封筒の中を見れば、確かにいつのまに用意したのかわからない付箋の貼られた見舞い袋が入っていた。
取り出して手渡せば、眉間に皺を寄せた山田に付箋を突っ返される。
(あ)
付箋には文字が書かれていた。それを読んで、鞄の中に仕舞う。山田が矢野を見上げ、眉を下げて笑う。
「これ、流石におきっぱなしはまずいですよね」
「あ、ええ。そうですね」
慌てたように矢野が答えた。山田の態度が功を奏したのか、反応が先ほどよりは柔らかい。
「どこに仕舞おうかな」
山田が室内をぐるりと見渡す。横須賀はそれをちらりとみた後、おずおずと矢野に近づいた。
「……すみません、お手洗い、どちらか教えていただいてもいいですか」
シュウを起こさないように小さな声で恥ずかしげに横須賀が尋ねる。矢野が少しだけ目を細めて笑うのが分かった。
「ああ、廊下を出て突き当たりをですね」
矢野が部屋を出る後ろについて行き、ええと、と困ったように横須賀は声を漏らした。
「右手を歩いていけば、右側の壁にありますので」
「ありがとうございます。どうにも病院だと、病室とお手洗いで悩んでしまって」
鞄のベルトを持ちながら、情けないです、と横須賀が呟く。矢野が微笑んだ。
「病棟のトイレだと余計分かりづらいですよね。案内の札があるのでそちらをみて行けば大丈夫ですよ」
「はい、有り難うございます」
深々と横須賀は頭を下げる。それから突き当たりにむかって足を進め――ふと気づいたように振り返った。
「あの、お忙しいでしょうにお待たせしてすみません。もしかして個人面会がダメだったんでしょうか」
「あ、ああいえ。シュウ君の様子を見ようと思っていただけなのでお気になさらず」
「そうですか、有り難うございます」
再度頭を下げて、廊下を歩く。矢野の様子から単純に不審がられた結果の病室での監視だと言うことはわかった。多少動揺していたので、山田の態度から身内とは判断されて少し後ろめたい感情があるのかもしれない。