台詞の空行

1-5)色薬


 過去と今が重なるように、事務所の扉を横須賀は押した。扉から中にはいるまでの道は細い。右手側は死体部屋で、左手側がトイレ。トイレの次は給湯室の壁。そうして壁が切れると応接机と山田の事務机がある一室となっている。応接の場所に仕切はない、シンプルな場所。あの日、机を挟んだやりとりはそう多くなかった。使われるだけの横須賀には結局、それが丁度良かったのだろう。

「駅まで見送りました」

 ノートパソコンを見たまま、山田は顔を上げない。ついと視線を動かせば、山田のデスクにあった雑誌がなくなっていることに気づいた。そういえばデスクトップ型のパソコンはないんだな、とどうでもよいことを考えながら、横須賀はメモ帳を抱えたまま山田の見、待つ。

「仕事はしたようだな」

 マウスの動作を終えたところで顔を上げ、山田は椅子に背を預けた。メモのことだろう。指を挟んでいたページを開き、横須賀はメモ帳を差し出した。

「薬が見つかったらすぐにご連絡お願いします、だそうです」

 山田がメモ帳をめくる。横須賀が書ききった枚数分、掴まれた紙はそのままびり、と音を立てた。リング式のメモ帳なので量がさほどなければ破くことに問題はない。

 多少紙の切れ端がリングに残ったまま、そのメモ帳が横須賀に突っ返される。

「言葉以外にも、見たモン書き出せ。なんでもいい。取捨選択は俺がする」

「え、あ、はい。わかりました」

 メモ帳を開き直す前に、山田から白い用紙が続けて押しつけられ横須賀は慌てて受け取った。用紙は、よくあるA4の印刷用紙。流石に立ちながら書くことは出来ない。客用の椅子を引き、横須賀は体を折り畳むようにして紙と向き合った。

 横須賀の長い脚を畳んで向き合うには少し苦しい低い机だ。少々滑稽にも見えるだろう状態を山田はどうもと言わないし、横須賀も特に言わない。使える場所と決まっているモノにそれ以上に意味はないからだ。勤務を始めてから何度か利用しているので許可をとる必要もなく、横須賀はペンを走らせる。

「書き出しました」

「そしたらテメェはその封筒を見ろ。封筒を見たら開けて中も確認しろ」

「はい」

 いつのまにか置かれていた封筒にふれる。よくある茶封筒だ。

 おそらくこの為に買って丁寧に運んだのだろう封筒に折り目はない。履歴書を書いていた時どうにも持ち運ぶと皺を作ってしまう為ファイルケースなどを駆使していた横須賀からしたら、どうやって維持したのか不思議なくらい綺麗な封筒だ。自分が不器用なのかもしれない、と自身のことを考え少し情けなく眉を下げる。赤月のショルダーバッグは小さかったから、手に持ってきていたはずだ。電車で帰宅したのだから、この綺麗な封筒は持ち主の几帳面さ、神経質さを思わせるものでもあった。

 封筒はすぐ中身を確認してもらうためか、ノリではなく紐でくるりと巻いて蓋をするタイプのものだ。こちらも几帳面に巻かれている。紐は三巻。そろりと外して開く。

 ぺこりと封筒に空気を入れる。中に入っているのは紙だ。十枚の白い紙。いわゆるコピー用紙で、封筒を傾ければするりと落ち出てくる。

 文字は印字されている。パソコンで打ち出したのだろうか。簡素な作りで、フォントは明朝体。太字に下線装飾で「色薬について」の文字。

 文章自体は横書き、である口調。箇条書きも用いられている。挿しこまれている写真はすべて同じ大きさ。縦に位置もそろっており、ある程度意識して作ったことが分かるデザイン。カラー印刷されているが、地図はモノクロでも見やすいように色数が落とされている。

 口調は全て統一されている。十枚全て片面印刷。片面で写真が入っているとはいえ、十枚にきっちり文字があるにも関わらず、誤字は一つもない。行間は少し狭め。

 文章の構成もきちんとまとまっていて、読みやすい。冒頭に太字で色薬についてとのタイトル、改行。空行は存在せず、そのまま色薬とは、で書き出されている。万病に効く透明な液体のことで、その液体に色が付けば病を無くすという文言。そして改行後、色薬の特徴について箇条書き。以上が色薬である、と締め、その色薬について以降どう説明していくかの要点の書き出し。それから自分はこの色薬の性能を研究し現代医療を変えたいと考えているとの言葉。そういう文章のあとは、要点ごとに番号が割り振られ、重要な箇所は下線で分かるようにされている。

 単純に言えば、読ませるための文だ。読ませることになれている構成。言葉選びだけでなく、紙面づくりからきちんと読み手を見ている文。

 赤色は血液や免疫の病気を治す。橙色は五感の不備を。黄色は皮膚の病気を。緑色は精神の病気を。青色は老いによる病気を。藍色は神経の病気を。紫色は五臓六腑の病気を。白は全てを作り替え、黒は全てを最初に戻す。

 その透明な液体は、そうたやすく持ち出せないとの説明がある。それはどこにでもあり、どこにでもない。すぐそこにあるけれどもすぐそこに見えない。そういう物らしく、探し出しても持ち出せるかという問題点もあるようだった。まずそれを入れるに相応しい入れ物が必要で、入れられたとしても全ての色を混ぜないようにして持ち出さねばならないとある。方法の記載は、ない。

 丁寧に書かれているのに、書いてある内容は医療と言うよりも別のモノに感じられた。不思議そうに瞬きながら、横須賀は文字を追う。意味を理解することは出来ないが、読まない理由にはならない。

 色薬は移動する。詳細の場所や条件の記載はない。丁寧に記された文字だからこそ、それは突然の拒絶にも感じられた。他意はないだろう。書き手がまだ知り得ない故に少ない記述なのだろうから。ここが十全であれば、山田に依頼はこなかったはずだ。

「読みました。ええと、内容を書けばいいんでしょうか」

「今お前の文章読んでたのになんで読めねえと思うんだ愚図。見た情報を書き出せ」

「す、すみません」

 新しい紙を突き出されて、横須賀は謝罪しながら受け取った。それから封筒に中身を戻す。入れ替わりのように、封筒は山田のもとへ。

 封筒が山田の手に渡ると、やや大きく見えた。山田は小柄だから、手も小さい。赤月がつけていたあの緑の石は山田の薬指くらいだったろうか、と考え、付箋をとりだして書き出す。

「山田さん、先ほどのメモに訂正失礼します」

「あ? ……そうか。お前、本当目はいいんだな」

 特別褒めるような色はない。それでも少し感心した調子で山田が言った。その言葉になぜか申し訳なさそうに身を縮こまらせ、横須賀はいつもの猫背で紙に向かう。

 封筒や中の書類に関する記述は短い。文章自体は山田が読んでいるので、指示通り見て気づいたことを書き出すだけだから当然だ。

「終わりました」

「おう。そのまま少し待て」

「パソコンを使ってもいいですか?」

「好きにしろ」

 山田から許可を得ると、横須賀は書き出した紙を山田の側に置いて、代わりにノートパソコンを自身の前に開いた。

(色薬)

 待っている間、出来ることはない。とはいえ何もしないのも手持ち無沙汰だ。メールなどの管理は山田がしているので横須賀の出来る業務ではない。そのままということは死体部屋の整理に向かうことも出来ないので、モノもないのに資料の整理もできない。結果横須賀は、先ほど見た単語を検索に入れてみた。SNSや掲示板などへの書き込みは禁止されているが、調べる、ということに関しては一般的な検索エンジンであれば禁止されていない。業務に関係していることなら好きにしろ、とも言われている。

 そうして調べた横須賀は、下がり眉を気持ち程度更に下げた。色薬、という検索だけでは薬の色とか薬によって色が変わるとか、そういったものが出てくる。完全一致検索なら、と思ったが、そちらはイログスリ――陶磁器に用いるうわぐすりが出てきてしまう。

 そういえば、読み方は書いてなかった。つい「しきやく」と音読みしていた横須賀は、イログスリ、と読み方を変えてスクロールする。内容としてはイログスリと、あと薬入れとかそういったもので想定するものはない。メモ帳にイログスリをコピーペーストした横須賀は、ふとキーワードに「しきやく」を追加した。読み方で検索結果が変わることもある。完全一致でなら――そうして出てきたのがお経だったので、流石に横須賀は諦めた。色薬が一致していないので、単なるお経の読み方だろうことは推察できる。横須賀が思いつけるキーワードはそこまでだ。

「なにを見ていた」

 丁度山田も区切りだったのだろう。差し込まれた言葉で意識を山田に向けた横須賀は、いえ、と申し訳なさそうに呟いた。

「知らない薬だったので、なにかあるのかなと調べてみたんですけれど……イログスリ、ってものがあるのと、それは違うだろうことしか」

 すみません、と横須賀が謝罪する。山田はしかし興味なさそうに紙を机に放った。

「テメェにソレがなにか考えろなんて言わねえよ。テメェのその能力は見ることと探すことで十分だ。俺が使ってやるからそんな無駄なことで謝る必要はネェ」

 随分不遜な言葉だ。能力の高さを褒めてはいても、貶しているように感じられるような言葉。しかし横須賀はほんの少し目を伏せ、安堵したように微苦笑した。

「はい、有り難うございます」

「そもそも今回の依頼は、色薬しきやくをどうこうしろって話じゃねぇだろうしな」

「え?」

 どういうことだろうか。薬を探してほしいと赤月は言っていたはずなのに。

 不思議そうに聞き返した横須賀に、山田は資料をまとめて差し出した。

「持ってろ。昼飯食ったら出掛けるぞ」

「あ、はい。なにか必要な物はありますか?」

 鞄からクリアファイルのケースを取り出し、横須賀が尋ねる。山田は答えず、引き出しを開く音が響いた。なにやら立ち上がる音もするが、返事がないのなら横須賀には関係がない。気にせず渡された資料を鞄に入れていると、横から財布が差し込まれた。

「もし必要があればそこから金出せ。経費だから領収書は貰えよ。それで十分だ」

 思わず山田を見た横須賀だったが、相変わらず視線は合わなかった。サングラスだからではなく、単純に顔の向きが違う。あっさりと自席に戻る山田をつい見送っていると、ああ、と思い出したように山田が振り向いた。

「名刺は俺が指示しない限り、事務員の方を使え」

「わかりました」

 横須賀の業務は事務員なので、基本的に事務員としての名刺しか使わない。――といっても、まだ今回の客が初めてなので今のところ使ってはいないが。一応、事務員のものと一緒に探偵助手としての名刺も渡されているが、これはあくまで念のためだ、としか聞いていない為、わざわざ山田が言わなくとも山田の指示がなければ使うつもりはない。なんとなく名刺入れの入っている箇所に手を置いて、山田を見る。

「時間は伸びねぇぞ、とっとと休憩入れ」

「はい」

 言葉に、慌てて弁当を取り出す。客用机に置いた二段の弁当箱は、一段が白米で埋まっており、上の段はベーコンと目玉焼き、それと冷凍の野菜を適当に詰めただけの簡易のものだ。とりあえず腹に入れば同じ、という考えなので横須賀は毎日同じ食事だ。そして、おそらく山田も同じようなものなのだろう。

 山田はこれまで見たところ、基本的にカロリーメイトを食べるだけだ。それと野菜ジュースか。栄養などに疎いのでああいうのを選んだ方がいいのかな、と思いながら、横須賀は惰性のように食事を飲み込んだ。