台詞の空行

6-11)違い

「君と話をしていると、随分と山田太郎が善人に聞こえてしまうな」

 善人という言葉を横須賀は内側でなぞる。善悪で考えるなら、横須賀にとって山田は悪であったことはない。というより、多分横須賀にとって悪と言えるものはほとんどないのかもしれない。胃の内側がじゅくりとするような嫌悪は、先日のああいう男に向けるもので――死んでしまっただろう人にそんな考えをする自身の方が余程悪だろう。

 あの時固く握りしめた手がざわつく。横須賀の睫が瞳に影を落とすのを見て、平塚は指をゆるりと深めに組み進めた。

「正直に言えば、わかりはしても私には山田太郎がどうにもそういう人物には見えない。ただ私の考えで君の言葉を否定するのはおかしいとも思うよ。君がそう考えるのは君の考えで、君が見て感じ思ったことを否定する材料を私は持たないし――多分、だからこそ君は君の考えを大事にした方がいい。私におかしさを問うのではなく、君は君の考えがなにか知るべきだ」

「俺の考え」

 睫を伏せたまま復唱する横須賀を見つめ、ああ、と平塚は頷く。組んだ手をほどき右手の指先を左手でするりと撫でるようにしながら、平塚はもう一度、うん、とまた頷いた。

「考え、よりももっとシンプルでも良いんじゃないかな。君の気持ち。うん。君の、横須賀一という人間の気持ち」

 静かに睫が持ち上がる。横須賀の瞳は切れ長で、黒目が小さい。だから見ている方向が非常にわかりやすいし、意外と長い睫は影を作りやすいので光の量でその目が今どうしているのか読みとりやすいものがある。

 山田太郎のサングラスとは真反対だという感想を抱きながら、平塚はつり目の割に鋭さを感じさせない横須賀の瞳を見返す。

「気持ち」

「うん。感情の把握は中々大事だ。言っただろう、糧にも枷にもなると」

「俺の」

 きゅ、と横須賀の両手に力が入る。浮かんだ血管は横須賀の感情とは反対に無骨で静かだ。視線が秋に向く。眠っている。山田は出来なければ仕方がないと言うところがある。やれ、という命令ははっきりしているのに、すばやく諦める。切り捨てる。

 取捨選択だとして、それを躊躇わない。仕事の結果で、あんなふうに抱きしめた秋をもうなにも関係ないという。

 多分その選択は、山田にとっての効率だろう。横須賀のようなどうすればわからない人間にとっては非常に明確でわかりやすく――従っていくことに間違いはないとも思う。

 けれど。

「……気持ちも考え方も、まったく同一には成り得ないからこそ私たちは集団で生きるんだろう」

 黙り込んだ横須賀から視線をそらし、平塚が穏やかに呟いた。右手が秋に伸び、小さな手をそのまま撫でる。

「グレさんもな、何を考えているか正直私にはわからないよ」

 一応一緒にいるんだけどなあ。はは、と笑いながら平塚が呟いた。感情の見えない瞳、当人曰く素直という言葉。必要無い嘘は吐かないのだとしたらわかりやすいようにも思えるが、しかし平塚は眉を下げていた。

 ほんの少しだけ寂しそうな表情で、平塚は思いを馳せるように視線を先に向けた。

「グレさんは一時期廃止されていた特例隊を復活させた人だ。市民を守るために身を粉にする公務員であることも確かだ。自分を鍛えることも、周りを見ることも、部下を守ることだってしている。尊敬する上司だと大声でも言えるが、それでも私はあの人の考えを理解しきることはないよ」

 寂しそうではあるが、それでいて平塚が表現する日暮は随分ときらきらしている。平時に使う大仰に飾りたてた言葉よりも静かな声でしみじみと並べられる言葉ははっきりとした実感を見せていて、一緒にそのきらきらを眺めるような心地で横須賀はその声を内側でなぞった。

「真っ直ぐな人だと思うが、それだけでもない。ただ信念だけは本物で、それを通すためには嘘だって吐く人だ。必要のない嘘は吐かないけれども、必要があれば吐く」

 こうして聞いていると、日暮と山田が重なる。同じように部下の立場だからかわからないが、見えないことも、嘘も、本当も。どれも近いようで、それでいて遠い。

「嘘は嘘とわかってもわからなくてもいいんだ。全てを知ることはない。仕事に必要な部分を私たちは共有する。その一点を疑うことがないかぎり、あとは意外となんとかなるものさ」

 肩をすくめた平塚は、ふと思い出すように視線を宙にやった。長い睫が瞬き、うん、と内側に残すような呟き。くるり、と指先が言葉を探すように回る。

「例えばそうだな……。嘘に限らずわからないことと言えば、グレさんの山田への考え、かな。君の山田への思いとは別に、いまいち私は理解できないよ。
 グレさんは君と違い、山田をそのまま良しとしていないだろうとは思う。なにかあれば対処できるように目を光らせている。けれども私が警戒するように山田を不審に思っているわけでもない。便利な情報屋とも違う。山田に盲目にならず、しかしその挙動を無闇に不信せず、ただ誤らないか見る。山田一人に対してだけでも、私とグレさんは違う考えを持っている」

 平塚の言葉に、横須賀は思い返すように目を伏せた。

 横須賀から見ると山田と日暮は親しいようにも見えたが、山田は都合がいいと言うだけだった。都合がいいにしては随分信じているようで――しかし、山田が警察を使うのは自分の手を離れたものに対してのところがある。日暮は日暮で、やはり友人としての親しさと言うよりは平塚が言うような奇妙な立ち位置にも思えた。

「ただ、グレさんと違っても私は山田を警戒し続けるよ。グレさんがアレに騙されることなんて無いだろうが、私はグレさんを信じても山田を信じることはない。私の気持ちは私のもので、私の考えも私のものだ。グレさんがもし山田を信じて行動することになった時、私は従いながらも山田を警戒し、探るだろう。それを間違いとは思わない。もしそうして山田がなにかすれば私が対応できるし、なにもなければグレさんがうまく山田を使う。同じチームでも同一にしなくていいと思うのは、そういう理由だ」

 ぱちり、と横須賀が瞬いた。平塚は秋から手を離すと、横須賀を見上げる。

「自分を知るということは、自分の動き方を知ることだ。だから君が君の気持ちを知り、持つことはなんらおかしくない」

 言葉が出ない。横須賀は少し狭くなったように感じる肺を押さえ、一度固く目をつぶった。なんだか多くの言葉がぐるぐると巡る。平塚はかみ砕くように言葉を重ねてくれているが、その量に圧倒される。

 それでもその量は横須賀を苦しめる為のものではない。

「君はもう君の考えを持っているんだ。君の気持ちもね。だから、あとは知るだけだよ」

 ぽん、と平塚が横須賀の背を叩いた。はふ、と息を吐き出して、横須賀は眉を下げいびつに笑う。

「山田さんは優しい人、です」

「君にとってはそうなのだろう。本当あいつは希代の詐欺師かなにかに見えるな、私にとっては!」

 平塚がやや大げさに笑って肩をすくめた。その声にも秋は起きない。けれども、生きている。ここにいる。

 山田の言葉を叶えられなかったことと山田の秋への行動を考えるのは、多分別だ。出来なかったからしてはいけないなんてことなくて、それにどう足掻いても本当に考えないことなんて無理なのだ。

 なら、と思う。ならば。

「山田さんは詐欺なんてしません、よ」

「していたらグレさんが捕まえる。私もな。例えだ例え」

 捕まえる、という言葉は確信であり決定事項のようだった。鋭い視線はすぐに和らいで冗談じみた色に混ざる。横須賀には多くのことが理解できないが、それでもわかる。

 平塚は、刑事はきっとその芯を変えない。だから山田は便利と言うのだろう。思い返せばそのままのことを、山田は言っていた。