6-7)第九病院
病院は酷く静かな場所に建てられていた。同じ
少しでも行けば数野市ではなく
濃いグレーの背広に一本芯が入ったようにきっちりとした姿勢はその上背を本来より大きく見せる。それでいて糸が張ったように伸びた背筋は、山田と少し違うようでもあった。何が違うのだろうかと考えている間に、手続きを済ませた平塚が振り返った。
「入って構わないそうだ。入ろう」
「はい」
扉を示す指先はきっちりとそろっており、手のひらは空を向いている。そういった所作が役者のようで横須賀は少し目を細めながら平塚に続いた。
中に入れば自動的にロックがかかる。オートロックのマンションに人の目を加えたような管理方法は病院と結びつきにくいような気もしたが、横須賀はそもそも病院に馴染みがないのでそういうものもあるのだろうと結局さほど考えなかった。ただついといった調子であたりを見渡す横須賀に、平塚が振り返った。
「山田からは警察関係と聞いているらしいが、実際のところ懇意というだけで警察が管轄というわけではないんだ。まあ警察病院は民間でこちらは市立だし、犯罪者や被害者で病院を分けることはそもそもないしな。と、このあたりは知っているか?」
「知りま、せん」
山田はあまり多くを語らなかった。ただ警察の管轄だから大丈夫だと言っていたので信頼しているのだろうと思っていたがそうではないのか。不思議な心地で横須賀は平塚の言葉を待つ。横須賀の返答に平塚は小さく頷いた。
「まあ普通は馴染みがないだろうからそのあたりを詳しく聞いていなくても当然と言えるか。それに、事実我々が懇意にさせてもらっている――どころか、実際だいぶこちらの要求を聞いてもらっているしな。警察と言うより、正確にはおそらく君たちも見てきただろう事件による特殊な病状に特化して対応している場所なんだ。警察以外にも紹介状があればこちらに案内もされるし、覚えておいて損はないと思う。山田が使うかはわからんがな」
肩をすくめて見せる所作に横須賀は頷きかけたものの途中で止まった。山田がたびたび病院を利用することを提示したりリンが言うのも聞いているが、場所については聞いていない。使うつもりがあったようには思えず、しかし否定しきるには二人はそういった施設を軽視していなかったのも事実だ。
だから覚えておいて損はないと言うことに頷けても、使うかわからんという言葉にはどうとも返せず半端に止まった。しかし平塚はさほど気にしないようで、一人でうんうんと頷いた後ややあって仕切り直しのように咳払いをした。そうして横須賀に背を向けると、また言葉を探し出す。
「話が少しずれかけたな。とりあえずここは警察ではなくて市の管理だ。本来は別の入院施設だったようだが、それを壊す際に立て直そうという話を警察含めしたらしい。特殊なケースの問題は各地にあったし県でもよかったのだろうが、元々が市であったこと手続きがややこしいこと、また当時の市長が強い関心を持ってくださっていたという複数の条件が重なって以降そのまま数野市で管理されている。一時期色々あって特例隊が無くなったらしいが、市で管理していたからこちらにまで手が加わることが無く今の特例隊と懇意にさせてもらっているんだよ」
清潔感のある廊下を歩きながら、平塚は話を続けた。なぜ語られるのかはわからないが、聞くことは好きなので頷きながら横須賀は後ろを歩く。
廊下はストレッチャーがすれ違える程度に広いが、普通の病院と違いひらけた場所がないようで平塚の足は迷いがなかった。受付らしい受付もない。外部から人が利用しづらいように思える。
「ここは正面ではなくてね。一応外来用のフロアは先ほど受付した場所に向かって右手側、植木の影に隠れた奥に別の入り口がある」
きょときょとと見渡す横須賀の内心を察したのか平塚が苦笑しながら答えた。ぴゃ、と反射のように体を強ばらせた横須賀は、平塚の言葉に右手側の壁を見る。透けて見えるわけなど無いのだが、それも反射のようなものだった。
「あちらは簡易な診察とかだな。自衛隊員たちが利用するらしい。大きい治療は出来ないが、街まで降りるのも大変だろうということでそれなりにうまくやっているようだ。こちらの棟の方が大きいが、一応あちらが主要扱いだな」
こくり、と横須賀が頷く。大きさやセキュリティからこちらの方が厳重だが、厳重さと外聞はまた別だ。ある意味では入院棟なのだろう。
突き当たりに来たところで、平塚が立ち止まった。息を一度吸って吐き下ろすと左手側灰色の鉄扉に向き直り、先ほど受付で渡されたIDカードを扉横のボックスに掲げる。
ピ、という電子音と一緒に、ガチャリと鍵の開いた音が響いた。
「赤月秋は三階だな。少し歩くぞ」
「だいじょうぶ、です」
階段は二人並べる程度の幅だ。先ほどの廊下もだったが、カメラがあちこちに設置されている為ついついそちらを見上げてしまう。
「物珍しいか?」
「え、いえ」
「多いとは思うだろうが、少々特殊な場所でな。念には念を入れている感じだ。各フロアではもう少し減りはするよ」
平塚の言葉に、横須賀は頷いた。市の管轄にしては随分過剰だが、奇妙な事件とどうにもならない瞬間を横須賀は見ている。コトが起きれば一瞬だ。人が溶けるのも、呑まれるのも。ならばそうなる前に、ということなのだろう。
「グレさんが随分赤月秋を気にしていたが、見ての通りセキュリティなど気を配ってはあるんだ。だからこそ申請がややこしいのかもしれないがな。一応みんな個室となっている。犯罪を起こした人間と被害者を同じ階にしないようにはしているが、これは中々難しいな。君もある程度見てきたかもしれないが、実行者が利用されていたケースも多い。奇妙なまじないなどを使うかどうかとか、その辺でもまた変わっているんだ。三階は一応静かな方だと思うぞ」
語りながら先を行く平塚の背中を見上げ、横須賀は要所要所で頷いた。声にならないない相槌は無意味に思えるが、しかし平塚は時々横須賀を振り返っていたので完全に無意味だったわけではない。
山田と違い、平塚はよく相手を見ようとする。語りかける調子は芝居がかったまま、気遣う所作が平塚の性格を表しているようだった。時々手が浅く握られるのを見ながら、横須賀は狭い階段で平塚の二段後ろを歩いた。
「と、ここだ」
上った先の扉は青色。先ほどよりもやや深めに深呼吸をして、平塚はまたICカードをボックスに掲げた。
ピピピ、ガチャ。電子音と鍵の開く音が一緒に響き、平塚はもう一度息を吐くと扉を開けた。
「先に看護室に行く。こっちだ」
「はい」
平塚が右手側に曲がるのに横須賀は続いた。先ほどまでの圧迫感と違い、大きいガラスが設置された場所には少しだけ四角いスペースがあった。
目算すると四畳ほどだろうか。受付の邪魔にならないスペースにソファや椅子が置かれている。廊下を挟んで看護室の前にあるスペースは六畳ほどで、中央部分には机、壁際には本棚と椅子が置かれていた。談話室という張り板があるので、オープンな共有スペースなのだろう。
そしてやはりというべきか、カメラが設置されていた。フロアでは少ないと聞いていたが寧ろ多いと感じられるほどだ。看護室側から談話室を映す二台と、談話室から看護室を映す二台。小さいスペースだが死角がないように気を配られているようだった。
平塚が受付部分にある四角いリーダーにIDを当てる。
「すみません、赤月秋の面会希望を出してます平塚茜と横須賀一です」
「はい、確認しました。少々お待ちください」