1-14)アタリ
「これからオミドリサマに会うが、テメェはどうする」
「え?」
病院の駐車場に止めたところでなされた突然の問いに、横須賀は間の抜けた声で返した。サングラスで表情はわからない。そんな山田が、息を吐く。
ほんの少し固い声の理由を、横須賀は見つけられない。
「テメェの見つけた情報は十二分だ。新山病院の治療についての今後の方針と病院の評判、緑の薬。おそらく今回はアタリだ」
「アタリ、ですか」
山田の言葉は横須賀にとっては過分すぎる評価だ。しかしそれに喜ぶよりも、アタリ、という言葉に横須賀は不思議そうに復唱する。
山田の指が、すー、と、紙をなぞる。
「ああ、これはお前の成果だ。俺じゃこうはいかねえ」
「資料はあったので、俺はまとめただけです」
ストレートな言葉に横須賀は少しだけ口の端を歪め、眉を下げる。横須賀のしていることはあくまで橋渡しだ。なにも特別ではないし、時間さえかければ誰でもできる。山田がふん、と鼻を鳴らし、紙をはじく音が隣で響いた。
「俺はやる気がネェ、ってのもそうだが、できる気はしねーよ。できねえ俺が異常って言うつもりか」
「いえ、そんなことは」
「なら素直に受け取れ。テメェの成果は十二分だった。だから、テメェに聞く。テメェの役目は終わった。……お前はただ車で待っていていい。着いてくるかどうかは、お前が選べ」
「えらぶ」
横須賀は山田の言葉を再度復唱する。選ぶ。なにを。着いていくことと着いていかないことの違いは。ぐるぐるとした言葉が、頭の中でまわる。
「ええと、山田さんは」
「テメェが来ても足手まといはある。そもそもアタリ案件だしな、お前がソコをみる必要はネェんだよ。もう情報は揃った、あとはしまいだ」
「足手まとい」
そう言われたら、横須賀には選択肢がない。再度復唱し、横須賀は外を見た。日が暮れるまで時間があるとはいえ、オミドリサマがいるという夕方、は、日のあるなしで決まっているとは限らない。単純に考えれば、時間帯が普通だろう。
「……俺には目がない」
こつり、と忌々しげに山田がサングラスを叩いた。見えてはいるだろう。だが、先日看護士に言ったように弱視はあるのかもしれない。本人がそういうのなら、おそらく。
「足手まといの可能性を置いた場合、アタリ案件ならなにかあったときに目が合った方が良いのは確かだろうな」
山田は資料係としてだけではなく、見ろ、と横須賀によく言う。次いで、ワトスンにしてやる、と入った山田の声が頭に響いた。シートベルトを外す音に、横須賀は山田を見た。
山田の顔は相変わらずサングラスに覆われていて、その表情はわからない。
「どうするデカブツ」
山田が横須賀を見上げる。横須賀は山田を見下ろす。山田の手の中には、横須賀のノート。横須賀にはこれからなにがあるのか分からない。そもそもなにをするのかもわからない。
けれど。
「……迷惑でなければ、使ってください」
山田がじっと横須賀をみる。いち、に、さん、し、ご。ややあって山田は、眉をひそめ口角をつり上げ、はっ、と空気を吐き出すようにして嘲った。
「お前は本当、予想通りの人間だよ」
呆れか、嘲りか、憐憫か。その言葉の意味を横須賀は探りきれない。ぱたん、と、山田がノートを閉じた。クリップ部分を指先で覆い隠すようにノートを持ち、座席から立ち上がる。もう夕方だからか、車の数は減っている。
車内から出て、車に鍵を掛ける。掛かっているか確認してから、鍵はズボンの左ポケットに。病院を見ている山田の斜め後ろに追いつけば、山田が横須賀を振り返った。
「おかしくなったら邪魔だから出てけよデカブツ」
「え、あ、はい」
おかしく、とはどういうことなのだろうか。有無をいわさない口調にうなずきながら、横須賀は瞬く。
山田が空気を押し出すようにして、笑った。
「まさかそこまではネェと思いたいがな。アタリ案件だ。頭に入れとけ」
「はい」
「……俺がイカレたら、ぶん殴れ。どうにもならなかったらテメェはやっぱり邪魔だ。出ていけよ」
再度頷こうとして、横須賀はしかし言葉を飲み込んだ。イカレたら。どうしてそうなるかはわからないが、所謂アタリがなにか大きな危険と近いと言うことを山田は言いたいのだろう。
邪魔なら頷かなければならない、と横須賀は考える。そもそも横須賀自身、自分になにができるかと考えたらなにもできないだろうと予想できるし――それでも、飲み込んだ言葉が出てこない。
「返事はどうしたデカブツ」
「え、と」
邪魔、という言葉を、横須賀はそのまま受け取ることができずにぱちくりと瞬き、黒点のような小さな瞳をきょときょとと動かす。山田がそれをみて口元を小さな手で覆った。自分よりも随分と小さな手。小さな体。堂々とした態度から強そうに見えるが、それでもその体躯だけを見れば、山田は小さい。
出ていけ、という言葉が、まるで逃げろと聞こえてしまう。だから横須賀は頷けず、しかし自分が役に立てるともいえずに言葉を探す。
「……出てかねーならせめて邪魔すんじゃネェよ。テメェが使えるなら使ってやってもいいがな、テメェには目以上のことは求めてネェんだ」
「は、はい」
ようやっと横須賀が頷くと、山田は面倒くさそうに大仰にため息を一つ付いた。それから、病院の方を顎でしゃくる。
「ま、アタリつってもどこまでかってのもあるしな。手札はテメェが見つけた。あとは俺が頭を使うだけだ。テメェはなにも考えんじゃネェぞ」
は、と笑った山田が先を行く。後ろに続きながら、横須賀はアタリ、とまた再度心内で繰り返す。
受けている依頼は病気を治す薬だ。それをオミドリサマが持っているのだろうか。けれど記事にオミドリサマについては無かった。あったのは緑の薬くらいだし、それは新山病院に秋頃新設予定の精神科で行う治療についての話題だ。オミドリサマではない。脳の病気を治すものでもない。
ではそれは、誰にとってのアタリなのだろうか。なにがアタリ、だったのだろうか。山田はなにを――
自動ドアを通って待合室に進む。横須賀はそこで思考を留めた。見知った姿を見つけたからで、しかし疑問を口にするよりも早く、山田がそちらに近づく。
「こんにちは。それともこんばんはかな、赤月さん」
びくり、と赤月の肩が揺れて振り返る。右肩に下げた鞄のひもを握り、鞄自体を左手で抱えるように持った赤月は、山田を見、横須賀を見、それから山田を見た。
「あ、こんにちは……薬について見つかったんでしょうか」
「それについて伺いたいことがありましてね。丁度よかったです赤月さん。お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ」
赤月の視線が左右に揺れる。希望に縋ると言うよりは戸惑いに揺らぐ瞳を、山田が遮る。
「よかった、ではそうですね。どこか落ち着いて話せる場所でも……車を駐車場に止めているのでそちらで」
「この時間なら人が来ませんし、向こうの中庭でもよろしいですか?」
赤月の拳は固く握られている。その言葉に山田は二秒ほど赤月を見据え、しかしすぐに口角をあげた。ひそめられた眉と持ち上がる口角は、やはり嘲りや憐憫、どちらともいえないような色を持っている。実際の感情は、すべてサングラスの奥に隠れているのだろう。くつり、と喉奥で鳴った音で、嘲りに近いとようやく分かる程度に、山田の感情の機微はわかりづらい。
「……貴方がよければ、どうぞ。お忙しいでしょうし、ね」
静かな山田の声は、シュウ君に向けた声を思い出すような色で、しかしそれにしてはとがった音をしていた。