台詞の空行

1-2-14)推論の端切れ

 矢来の主張に山田は肩を竦めると、使っていなかった椅子に腰を下ろした。資料は見ないスタンスを明示する形を選ぶように、山田は「あくまで推論だがな」と足を組む。

「単純な可能性の話だ。死に返りと三日還りは別物。泥神信仰に関係する民話として例示されたとしても、同じことを示唆するとは限らない」

「判断基準は?」

「テメェ等の話だよ」

 矢来の問いに山田は顎で机を指し示した。答えはそこにあって、伝えていない手札と合わせた推論は正否に拘らなければそれなりに立てられる。それでも説明するにはだいぶ空想じみていて、本来なら山田は好まないが――しかし、山田は完璧を選ぶホームズとは違う。謎を探り解を語る探偵ではなく、あくまで山田は外側。並べられた事象、存在する人間から探り得ることしか出来ない故に、黙する理由にも成り得なかった。

「中山サンという人間がどんな奴かは知らねぇが、民話はソイツにとって死に返りという恐ろしいモノと向き合うための物語。編集者の話を信じれば日記帳に書かれている内容からもソイツは屋代家と泥野家を民話から読み取っている。現状で言えば、中山サンにとって屋敷で起きることは泥神信仰に関係あるのではと考えられているんだろう。これはほぼほぼ正と考えていいはずだ」

 山田の言葉に矢来は頷いて日記帳を軽く掲げ持った。先の『信じれば』という言葉が理由か見るのを促すような所作に、山田は軽く首を振って不要だと示す。

 見づらい文字をサングラスをかけたまま間近で追うのは流石に滑稽だ。外すようにといわれても面倒だし、その正誤を疑うつもりもさほど無い。

 元々、山田はそこまで疑り深いわけではないのだ。それは逸見五月という人間性からすると当たり前かもしれないが、そういう意味ではない。

 警戒は大切だが、かけられる時間は限られている。一度情報源と信じた人間を疑い続けても効率が悪いというのが山田の考え方だ。それでも疑う場合は、結果に大きな変化があるときで――現状、この一手を疑うことで生じるメリットデメリットを考えると、矢来が悪意を持っていない限りはその余地を考える方がデメリットである。

「手札が多くない中での推論をややこしくすることほど面倒はない。だったら小難しくなにもかも疑うのはやめて、もっと手札を増やす方がいいだろ。今無理矢理立ててるこれは、素直な考え方だ。
 だから、三日還りと死に返りの筆跡の違いをそのまま信じる。この二つは別物だ」

「別物?」

「三日還りと死に返りは状況が似ている。それでも文字が違う、書き手の感情が違う。状況はあくまで民話とここにいる連中から聞いた話っつー曖昧なものだ。確実なのは文字。そして書き手の筆跡は唯一ふたつを比べられる当事者の情報だ。俺達のような部外者じゃない」

 矢来のじっと見据える瞳は聞き手として素直なものだろう。横須賀もまっすぐ山田を見るが、ぱちぱちと瞬く所作と時折動く指先が会話を追うようでもあった。

 元々横須賀は思考が追いつくと言うよりも言葉を追うために指が文字を探るところがあるので、現状も同じようなものだろう。浮かぶのは、直臣のこと。追いつくのがいいのかどうか山田にはわからないが、しかし知らないまま関わらせるつもりはない。

「まず三日還りは三日で還ったと言うが、この還ったってのがややこしい。生還という意味は生きて戻ったあたりで使われるので、そちらの意味か――もうひとつ、この文字が常用漢字外なのはそもそも使い方が限定的だ。ぐるりと巡り還る、祖国に還るやホームに還るなどだな。あとは土に還る」

 土という言葉はひとつのキーに成り得るだろう。泥神という言葉から連想しやすく、また死を想像させる単語でもある。しかし、この件に関して山田はその単語を否定する考えを持っていた。

 とん、と山田は自身の脚を指で叩いた。

「状況的には生還だが、行方不明の期間から考えて三日で生還は奇妙になる。同じく三日で土に還るも――実際はあり得るが、それを是とするなら死に返りと同じになるからこちらも無し。なら三日で巡って還った、だ」

 矢来がなにか言いたげに口を動かしたが、しかしそれは音にならずに閉じられた。その判断の正しさを肯定するように、山田が言葉を続ける。

「三日還りはおそらく普通の人間が泥神の加護を受けるための儀式。崖から落ちて行方しれずの子供が発見されるまでの間、既に発見者が保護して準備していたんじゃねぇかと俺は思っている。そうしてからおかしくなったときが儀式を行ったときで、三日で還った――加護を受けたんじゃねぇか、という奴だ」

「どっちかというと、その方が死に返りと似ているんじゃないか?」

 先ほどの疑問が少し形を変えて発露され、山田は肩を竦めて見せた。似ているだろうが、しかし違う。同時に今から語る推論は佐藤たちの尊厳を傷つけかねないものだ。さて、と内心でごちると、山田は足を組み替えた。

「俺の推測では、似ているっていうだけで別物だ。死に返りは死んで返るもの。連中の言葉を信じるなら、死ぬんだ。中山さんとやらにとって、泥神の加護はそこまで恐ろしいものではない。死んで返ること、それこそが怖い訳だ」

「……なんか言葉が足りない?」

「テメェにとって必要になる分は喋ってるぜ編集者」

 不服そうな矢来に、山田はにやりと笑う。矢来が動く理由になる分は語った。これ以上は必要のない推論だ。横須賀には語らなければならないが、しかし語る相手は横須賀だけでいい。

 三日還りのようになんらかの対象によって変化するだけならそこまで語る必要もないのだが、しかしそうではないという予想はあの夜を繰り返しかねないという可能性を浮かばせる。

「とにかく、ここで行われることは対象の死だ。そしておそらく準備が居る。ならそれを台無しにすりゃあ今回は問題ない」

 ひとまずの話でしかないが、まずそこを終えなければならない。台無し、と矢来が繰り返し、少し唇を尖らせた。

「その方法がわかんないっつーか、そこまで詳細書いてないけどどうやって調べんの? 探偵さんは知ってるって考えていいのか?」

「知らないが、ポイントはいくつかある。……デカブツ」

 山田が横須賀を促すように声をかけると、瞬いた横須賀はメモ帳に触れた。それを出すべきか悩むように止まった所作に、山田は顎を動かすことで促してみせた。

全部出せ」

「え、あ、はい」

 出されたメモ帳は二つ。矢来が横須賀と山田を見比べると、山田はメモ帳をめくった。

「通気口やダクトは資料がないっつーからわからねぇが、おそらく通り道としてある程度あるんじゃねぇかって思っている。この部屋の臭いは儀式の一環。声が漏れるのに廊下に充満はしない、扉をあけた時に香るのはそこに風の流れが出来たからだろう。普段こっちに流れはないはずだ。けむっぽくても雨の中窓を開けない部屋に煙で充満しねぇから通気口はある。そしてそれが外に繋がっているのか中に繋がっているのかまではわからねぇが、おそらく外の可能性が高い。万が一中だったらアウトだな、流石に泥野の目がある」

「探すって何を?」

「儀式に必要なもの――それがなければ成り立たないものだ。こういうものはいくつかパターンがある。手順をふまなければ起きてしまうもの、逆に手順が必要なもの。今回は後者。三日還りと死に返りは別物で、けれどもおそらく三日還りの為に死に返りがある」

 山田の言葉は淀みがない。だからこそ見えている部分と見えない部分の差に矢来が顔をしかめた。不服を示すそれを見てとると、山田はもう一冊のメモを開く。

「俺達は死に返りなんざ知ったことじゃねぇが、おそらく三日還りに使われるだろう人間を知っている。そいつをかっさらえばいいが、それだけじゃ足りない。やることは三つ。
 一つ目、おそらく居るだろう子供を保護する。名前は千重。二つ目、屋代家当主の確認。死んでるだとか実はいないってこたぁないと思うがな、正気かどうかによって変わってくる。三つ目は――アンタはあの女連中と一緒に居とけ、っっとこか」

「そこで俺ハブられんの?」

 矢来の表情から感情は読み取りにくい。素直な疑問に聞こえるような音は、しかし言葉選びから少しの不満も見えた。皮肉にも近いかもしれない。それでも山田は気にした様子を見せずに口角を持ち上げた。

「アンタにとってはこの場所からでていければいいんだから問題ねぇだろ。可能ならガキも預かってほしいが、状況次第だな」

 山田の言葉に矢来は肩を竦めた。そのまま視線を横須賀を移せば、黒い瞳が素直に矢来を見返す。横須賀が山田の言葉を理解しているのかどうかまでは矢来では読みとれない。しかし横須賀の表情には不満を見せるどころか疑問を挟もうとする様子がないことはわかり、矢来は竦めた肩を下ろした。

「ま、出来る範囲でってやつだな。リョーカイ。聞きたいことは終わったらにするから、可能なら今度取材受けてくんない?」

「記者じゃなくて編集者だろアンタ」

 矢来の言葉に、あくまで山田は素っ気ない。あきれた調子すら含まない単調な指摘だったが、矢来はのっぺりとした瞳で気にした様子を見せなかった。

「臨機応変が求められる職場なんですヨ。今アンタらの探している子供についてとか聞かないだけ空気読んでるからいいじゃん」

 単調な声で言葉を連ね、そして切る。す、と机に触れた矢来の手が、横須賀の持ち込んだ紙の上に乗った。

「ま、普段仕事に関わらない人間をキーにしないのはわかるけど、手が多いことさえ把握してくれればいいよ。雨彦の知り合いになんかあると寝覚め悪いし、中山さんの憂慮が消えれば万々歳ってやつだ」

 のっぺりとした表情で、矢来が両手を小さく上げる。降参なのか万歳なのか判りづらいが、おそらく両方だろう。これ以上は追求をしないことを示す形だ。

 山田が肩を竦めて横須賀にメモ帳を二冊返す。やることに関わっているのは、結局すべて人だ。施設から引き取られた子供、姿を見せない主。そうして恐らくこの場所は――

「指示をよろしく、探偵さん」

 に、と矢来が笑った。