台詞の空行

1-2-5)食堂

 * * *

 屋敷と言うが、活動している場所自体は多くないのだろう。使用人らしい人物は泥野くらいしか見ていない。食事を作っている様子はなかったので、運ばれたそれらから見えない使用人の影を感じるものの、それだけだ。

 白いテーブルクロス、銀の食器、籠に入れられたパン。食堂と言われただけあってそれなりに広い室内の長テーブルに座る人数は多くない。上座、おそらく主人が座るだろう場所は空白。

 山田と横須賀が座るのは下座。招かれざる客人であるから当然だが、山田は出口を好むので丁度いい理由でもあった。それでも広い食堂の中では外への距離の差はささやかなものだが、スタンスとして常に見せておけばわざと選ぶときに浮かずに済む。なにより、全体を見渡しやすい場所と言えるだろう。

 出口に一番近い位置に座っていた男の前に横須賀を座らせ、山田は横須賀の隣に座った。男は横須賀と山田が入ってきたときにじっと見てきたのだが、今はもう視線を上座側に向けている。二人が入ってきたときに視線が動いたのはこの男だけでなく他の客人もであり、異物に対して当然の反応だが――近くで男の顔を見た山田は、サングラスの奥でその顔を観察するように眺めた。

 視線の位置がわかりづらいのはサングラスのメリットだ。とはいえ、隣に座っている横須賀が目の前の男をじっと見つめているので、あまり意味はないかもしれない。横須賀の切れ長の瞳は白目がちで、その視線の動きは隠そうともせずわかりやすい。とはいえわざわざそれを諫める理由もなく、同時に山田はおそらく同じ理由で見ているだろうと確信した。

 ついその男を気にしてしまうが、しかし理由は意味のないものだ。そちらに向かってしまう視線を他の客人達に向ける。男を含め、数は五人。空席である上座の席を除いて一番奥に座っているのは壮年の男だ。黒い髪に少しだけ色の違う部分を感じる。山田がみると光の加減かとも思えるが、おそらく横須賀に聞けばそれが白髪交じりだからだろうと思えるような、色の混ざり方が品を感じさせる男だ。背筋は伸びているものの神経質すぎず、凛々しい太い眉と大きな唇は男の意志を思わせるものと言えるだろう。

 その前方にいるのは明るい金髪とピアスが特徴的な青年だ。大学生か、ともするとそれより若いかもしれない。髪や耳飾りが明るいのにも関わらず、その手首に巻かれている物は細いベルトの古びた時計だ。指輪をしているようだがおそらく婚姻のためではない、着飾る為のシルバーリング。

 そんな青年の隣に座っているのは黒い長い髪の少女だ。重たく厚い前髪が影を作って、顔立ちがわかりづらい。日本人形のように美しい黒髪だが、緊張したように身をちぢめて、彼女だけは自分のすぐした、体を曲げれば目に入るシーツばかりを見ている。下を向いているもののやや顔の向きは彼女にとって左側――上座とは逆、出口に傾いている。ここから出たいためかそれとも隣の男がおそろしいからかはわからないが、この場所に馴染んだ様子はない。

 少女の前方、壮年の男の隣になる位置にいるのは佐藤和子。先ほど突然やらかしたのもあってか、山田達を見た後少し気まずげに顔を逸らした。

 食事とのことですぐに離れた彼女に対し、この席で山田達が成すことはない。そもそも主人と会話が出来れば、という目的だったのにこの場所にいないので今はどうしようもなく、山田は行儀が悪いとわかっていながらも横柄に腕と足を組んだ。

 足を組む音に一度視線をこちらにやったのは、壮年の男と横須賀の前にいる男だ。金髪の男はそもそも自身が椅子を揺らしているので山田の態度など興味ないのかもしれない。佐藤はあえて見ないように意識しているのだろう。少々かわいそうに思えるのは、髪の長い少女か。びくりと体を揺らしたものの見ることも出来ない様子は流石に同情するが、ポーズを変えることはしない。

 横須賀の前の男――先ほど山田と横須賀が最初に注目し、今現在も横須賀が不思議そうに眺める男は真っ黒い髪をワックスで後ろに撫でつけている。オールバックといえる髪型だが山田のようなきっちりした物ではなく、後ろに撫でつけたまま後頭部に向かって髪が立てられているタイプだ。歳はおそらく横須賀と同じくらいだろう。しかしその表情は読みづらく、真っ黒い瞳がやけにのっぺりと見えるので感情を伺い見ることが難しく感じられる。

 細いシルバーフレームの眼鏡の向こう、まるでカメラのレンズのような無機質さと光の色がわかりづらい黒い瞳はあっさりと山田達から外れて客人達に向いた。興味がなさそうと言うよりはなにを考えているのかすらわからない瞳を飾る睫は少し短く、影をあまり落とさない印象を持たせる。表情が顔に出づらい、という人間はそれなりにいるのだが、山田と横須賀の中に浮かぶのは一人の刑事だ。

 他人の空似、というには、随分日暮ひぐれと似ている。歳が若すぎるし、山田の記憶の中で日暮は一人っ子だったが――

(息子、にしてはでかいか)

 そもそも日暮は指輪をつけていなかったが、外しているだけや離婚の可能性もないわけではない。男の表情が見えづらいから本来より歳が上に見えるなどだったら息子の線もありえるかもしれないが、しかしそちらで考えるには少し非現実的だ。なら、歳の離れた兄弟か。探ったところで意味はないがつい気にかかるのは事実だろう。

 横須賀の露骨さがなにか話のきっかけになるかとも思うが、横須賀は不思議そうに眺めるだけだし、男はまったくもって意に介した様子を見せない。日暮と同じく顔に出ないのなら山田にわかるものではないが、場所と状況が面倒を呼ぶ。

 横須賀には気にするな、と言ったものの、佐藤の言葉から状況はほとんど憂慮の事態に傾いている。手札がない故に一度退散してから仕切り直しが理想的なのだが、泥野が言った六日間がどうなるかが問題だ。

 その日数を放置するには危うい。期限のあるものは儀式じみており、せめて六日間の内に仕切り直せればいいものの、終わった後では重幸の依頼が無意味となる。だからこそ主人と一度会話をしたかったのだが未だに姿がない、という点も面倒だ。

 被害者が選ばれるという件で考えるなら招待客全員が被害者といえるが、ことが儀式となると実行者にもなり得る。誰が行おうがどうでもいい、と言いたいところだが、流石に知り合いの親族がいると寝覚めが悪いし――なにより、日暮刑事の家族から加害者が出る、というのは山田の個人的な感情からも避けたいものがあった。

 日暮の身内という確信はないものの、可能性は可能性として考慮する。だとした場合、仕切り直しをどうすべきか。山田は横須賀と自身の安全を第一に考えなければならないのでその点は間違えないが、しかし家族の行為の重さを背負わせなくていいのなら、その可能性を求めたいのは感情の上での事実だった。

 どういう形であれ儀式は実行させないので被害者を出す気はないのだが、加害者が出るのも避けられれば避けたい。どんな人間だって加害者になっていいことなどないので当然だが、日暮刑事の身内となればあの真面目な男の刑事としての立場がどうなるのか――山田は自身の身勝手をはっきりと自覚しながらも、優先順位の組み立てを繰り返しながら客人と部屋の様子を探り見ていた。

「スープをお持ちいたしました」

 運ばれたのは暖かなスープだ。運搬も泥野か、と考えながら山田は組んでいた腕を下ろした。横須賀がちらりと山田を見る。視線に対して、横須賀だけに見えるように待てを示した。横須賀の目を借りるにも、注目すべき点をまだ絞れていない。

「泥野サン、少しいいか」

「はい」

 山田の声かけに、視線が集まる。穏やかに答えた泥野が手を止めて山田に向き直った。トン、とテーブルを一度、山田が指で鳴らすように叩く。

「主人はどうした? 空席で食事をするつもりは流石にネェぞ」

「申し訳ありません、主人は食事に同席できないので……みなさまでお召し上がりください」

 山田の眉間に皺が寄る。す、とサングラスの奥の瞳が客人を伺い見たが、彼らに驚いた様子はない。

「招待客と俺らは違う。挨拶は可能か?」

「お伝えしてあります。ご挨拶できなくて申し訳ないと言っていました」

 ふん、と山田が鼻を鳴らした。軽薄に浮かんだ笑みに対して、泥野はあくまで穏やかに笑みを浮かべている。

「みなさまのお食事が冷めてしまいますのでよろしいでしょうか」

「こりゃ失礼。あとで確認したいことがいくつかある。泥野サンの時間がもらえれば――」

「ここで確認したらどうです?」

 山田の声を、低いのっぺりとした音が遮った。抑揚のない声の主は、横須賀の正面に座る男だ。

「お食事が冷める、だろ」

 先ほどの泥野の言葉をそのまま使って山田が肩を竦める。男は表情を変えず、上座の空席を見た。

「主人が来たら俺も話をしようと思っていたんだ。食事はそちらに配りながらで構わない。俺のことはいないと考えてくれ」

「そういう訳には」

「俺も本来の客人じゃない。そっちの食事さえあればいいだろう。こっちはこっちの優先事項を選ばせてほしい」

 眉を下げて微苦笑する泥野に、淡々と男が告げる。山田は様子を見るように腕を組んだ。男に会話をさせる為の、『聞き』を示すポーズだ。

「俺よりもアンタの方が確認したいことがあるようだな」

 にやり、と山田が挑発げに笑う。男は山田の表情に対して特に感情を示すことなくあっさり頷いた。

「そうかもしれないな。じゃあ、先に俺が聞かせてもらうか」

 泥野が承知していないにも関わらず、マイペースに男が言う。スープと彼らの様子を見た泥野は、困ったように他の客人を見た。奥の壮年の男が手を上げ、大丈夫、というように無言で示す。

「……なにをおたずねになるのでしょうか」

 観念した、とでもいうように微苦笑へ溜息を混ぜて、泥野が男に尋ねた。男は小さく顎を引くと、顔の向きを扉側へ動かす。

「六日間こちらに軟禁されると聞いたけど、こっちも仕事がある。帰る手段と、通信手段。正直十年に一度必ず封鎖、なんて自然災害としておかしいことを真に受けるつもりはないんだ」

「そうは言われましても、実際起きることで」

「――人が死ぬ、って話だって聞いているんだ」

 男の言葉に、体を強ばらせたのは佐藤と少女だ。金髪の青年は椅子を揺らすのを止めた。対して、泥野は微苦笑のまま男を見下ろしている。

「どういうことかその点の説明は? この屋敷がなにかしているのか」

「わたくしにはどうしようもありません。なにか、などと言われましても……確かにそんな噂があるようですが、少々困っているくらいです」

「困っている、ね」

 泥野の言葉尻を、男が掠め取る。抑揚の無い無機質な声で復唱した男は、やや姿勢を前方に傾けた。

 そののっぺりした目が、山田を見る。

「なら、丁度いいんじゃ無いか?」

「丁度いい、ですか?」

 男の言葉に返されるのは困惑だ。そうだ、と答え、男は口角をはっきりと持ち上げた。

「せっかく探偵がいるんだから、謎解きには丁度いい。なあ、山田太郎さん