1-1-7)探偵と依頼者
「いくつか整理する必要がある」
渉に書類を書かせながら先ほどの段ボールを確認し終えた山田は、その書類を横須賀がしまうのに合わせて静かに言った。はい、と頷いて言葉を待つ渉の表情は硬い。
「まず、仕事をするのに大きな問題がひとつ。事前に聞いてネェから、資料が手元にない。対処方法は三つ。
一つ目、帰ってから資料を持ち出し仕切り直す。これが最上。二つ目、建造さんの依頼の時、ツテに手伝いを頼んだ。そいつに連絡して口頭でも資料を確認する。これは最上じゃないが悪くない程度の案。三つ目、現状ある情報で調べてなんとかする。これは正直やりたかねぇモンだ。下準備が仕事の質を保証するからな」
渉の視線が、ついと外れる。斜め上、渉にとって右後ろ側。あちらは横須賀たちが来た道の方向でもある。
「探偵さんは」
「最上を選ぶのが仕事への誠意ってやつだろうな。アンタがどこまで聞いているかわかんねぇが、そもそも以前の仕事自体特殊なモンだったんだ。仕事は受けるが、自分の身と事務員の身を守るのもその仕事に入る」
事務員、との言葉に横須賀は顔を上げた。別に直接呼ばれたわけでもないが反射のようなものだ。山田の顔は横須賀を見ていないので、会話を促されたわけでもない宣言である。
こういった物言いも、以前はしなかったものだ。山田と同列に並ぶことに少しだけくすぐったい気持ちになりながら、資料、ツテ、とメモをする。
浮かぶのは、以前太宰コーポレーションで見かけたファイルたちだ。
「……ただまあ、依頼人の要望を聞かないわけじゃない。余地がないならそもそも対処を三つもあげねぇよ」
「え」
山田の言葉に渉が声を漏らす。意外というだけでなく、少し問いかけにも近い音には縋る色が滲んでいた。山田が吐き捨てるように笑う。ハッ、という投げるような音は、その窮した音を吹き飛ばすようでもあった。
「今回探すもののは大きく分けて三つある。一つ目が子供、二つ目がコエツボ。そして三つ目は、子供の目的だ。誰が利用しているかも含めてな。その中で火急は子供。二週間、アンタが言ったようにもういないならいい。ただ、アンタは知らなくともそもそもコエツボが厄介でな。はやきゃはやいだけいい。正直もうおしまいか、そうでないならいつおしまいになってもおかしくない、ってことだ」
山田の言い聞かせるような言葉に、渉の顔が白む。山田が強調するように、とん、と畳を指で鳴らした。
「アンタが依頼しようと思った一番の理由は、子供だ。遺品でも
「どうすればいいのでしょうか」
尋ねる渉に、山田は肩をすくめた。浮かべた笑みは軽薄だが、どちらかというと仕方ないとでもいうような表情でもある。
「アンタが腹をくくるなら、だ。別に悪さをしろってわけじゃねえ。それはこっちがお断りだ、ウチの仕事は犯罪じゃないんでね。そもそも依頼人に身を切らせるほど馬鹿じゃない。俺の手札じゃネェもんを利用するには、アンタに対する情報が足り無すぎる。
アンタにしてほしいことは三つ。一つ目、こちらが言う物を準備すること。二つ目、こちらが活動中は動き回らないこと。三つ目、こちらの仕事に首を突っ込まないこと」
握った拳を人差し指、中指、薬指の順番で開いて山田が言い切る。渉の目の前で開かれた右手がまた拳の形に戻り膝の上に下りたところで、渉は拳を追っていた視線を山田に向けた。
瞬きは三回。左下、右下、真ん中。短い動きが山田を見据えることで止まる。
「……質問をしても?」
「どーぞ。長々話すよりさっさと仕事をしたいのは事実だが、聞くのは自由だ。答えるかどうかも自由だがな」
くつくつと山田が笑う。少しだけ怯んだ様子を見せた渉は、考えるように視線をまた伏せた。
時間がない。それがどういう意味かわからないが、山田が言うのなら事実なのだろう。それでもすぐ動かないのはもう遅いかも知れないからか、それとも依頼人の決定が先に響くためか。
「……あの」
控えめに横須賀が声をかけると、渉と山田の視線が集まった。申し訳なさそうに肩をすくめた横須賀は、それでも山田を見る。
山田は言葉を待っているのか黙している。ええと、と横須賀はなんとか声をしぼりだすと、メモ帳を握りしめた。
「もしできることがありましたら、俺なにか先に調べてます、か?」
なにか資料があればまとめることは出来るし、簡易になってしまうがリンに事情を伝えることもできるはずだ。渉との会話をメモしているが、先行できることはしたほうがいい。そういう考えで伝えた横須賀だったが、山田は少しの間ののち、「いや」と短く返した。
否定の後の言葉を続ける前に山田が渉を一度見る。それからもう一度横須賀を見た表情は、あまり感情のないものだった。
「悪かねぇ案だが、さほど時間に差はねえ。一緒に話聞いておけ、テメェの受ける依頼でもあるんだ」
「あ、はい、すみません」
山田の言葉に横須賀が頭を下げる。ふん、と短く鼻で息を吐いてから、山田は渉に向き直った。
「で、質問はなんだ」
とん、と投げられた言葉に渉が反射のように背筋を伸ばす。しかし、「その」と戸惑うように漏れた声と右手が側頭部を掻くのと一緒に、伸びた背中はすぐ少しだけ緩んでしまった。
「準備はします。ただ出来る範囲になりますので、無理だったらその都度言わせて貰いますが。あと、動き回らないことと首を突っ込まないこと。これらは実際どういうことでしょうか。家からでるなとか、そういう……?」
「まあ、それが一番早いな」
伺う声にはっきりと山田が言い切る。不満と言うよりはまだ窺う様子の渉に、山田は玄関の方を示すように顎を上げ動かした。
「持ち回りの町内会長は置いといて、住職は建造さんからの依頼の時話したことがある。なにか企むような人間ではなかった、前回に限ればな。別の人間に交代してとかはあるか?」
「いえ、ご健在です」
「なら俺から見た印象じゃさほど問題なかった、とは言っておく。それでも前回と今回で違いがわからねぇし、なんかあるなら俺が対処した方がいい。はっきり言えば、もしなんらかの意図を住職が持っていた場合、こっちの知らない間にアンタが利用されるのは面倒ってことだ」
面倒という言葉に渉はやや顔をしかめたが、しかし反論を飲み込むように頷いた。隣に置いたままだった段ボールの縁を山田が叩く。
「さっき言ったように、準備が足りない状態での調査だ。自分の身は自分で守れ、と言ってもどうなるのかなにがあるのかわからない。一番手っ取り早いのは家にいること。呼び出されても体調が悪いと言え。それでも渋られたら状況は悪いがはっきり断ること。
本来嘘は吐くと後が面倒だが、今回は短期間。問題なかった場合、あの住職なら説明すりゃわかってくれる人だし、町内会長は読めねぇが持ち回りならあんまり動くモンでもねぇだろ。必要あれば後日俺が適当に対処する。どちらにせよ呼び出しを受けたらこちらに連絡、アンタのところで情報を止めないこと。これはアンタの身を守る為だが、一番はこちらの身を守る為でもある。そこのデカブツに同情するなら誠意を欲しいモンだね」
「……お二人のことを信じますので」
山田の揶揄するような言葉に、静かに渉が言い切った。は、と山田が笑う。
「それは上等。ああ、あと『首を突っ込まない』も同じような理由だ」
とん、と山田が段ボールの蓋のへりをはじき、それからつまみ持つ。少しだけ自身の傍に弾き直すように力を入れた後、つとん、と、指を下に押し込むように弾いた。
「俺はこういう事件の引き際を知っている。ヤバいと思ったら仕事は無しにだってする。引く、諦める、忘れる。どれも必要な俺の道具で、どこまで見てどこで引くかはこちらの判断。それをツレは聞くだけの覚悟を持っている。けれどアンタはただの依頼人だ」
静かな言葉は言い聞かせる音でもある。とん、とん、とん、と、順繰りに並べられた言葉に、渉がじっと山田を見る。
山田が静かに息を吐いた。
「経験がない、聞いていない、知らない。貴方は自覚している方だが、自覚せずに自分は出来ると言う人間も少なくない。――どちらにせよ、大抵は足りず下手にかき回されると面倒だ。
それに、依頼人ってことは当事者でもある。当事者は結果に執着をする。貴方も子供に執着をするだろう。たとえ見つからなくても、見つからない理由が掴めなければそれだけ知ろうとする。先にいった自分が動けないことすら見失う可能性もある。それじゃあ駄目だ」
駄目だ、という言葉は、その否定を示す形の割に拒絶ではなかった。仕方ない、それでもいけないことだと諭すような調子で、しかし山田の表情は対照的に無機質である。
「準備が足りないのも理由だが、そもそも本来依頼人は事件から遠ざけて関わらせないのが一番だ。深入りしないなんて目的がある時点で絶対じゃない。今承知しても感情で判断を違える。知りすぎると余計な。
だから首を突っ込ませない必要がある。特に今回は下調べがない分、重要なことだ。同じ危険なケースでも、知識や経験だけでなく、こちらは依頼を受ける立場で当事者でないってことはデカいんだよ」