1-1-5)行方知れず
「行方知れず、ね」
先を促すように、山田が復唱する。ええ、と呟いた渉が胸ポケットから取り出したのは、革製の茶色く薄い長方形の物。二つ折りの名刺入れだろうか、と横須賀がそれを追いかけるように眺めると、ぱかりと開く。
平べったいそれは名刺入れと同じ形をしていたが、出てきたのは小さな古い昔の写真だ。かろうじて色はわかるが、しかし褪せているので正確とも言えないだろう。差し出されたそれには、小さな鳥居と壷が写っている。
「こちら、覚えていらっしゃるでしょうか。コエツボ、というらしいですが、覚えていらっしゃるなら、きっと探偵さんの方がご存じかと思います」
「……ああ。建造さんから依頼を受けたのもそちらの関係だったからな」
コエツボ、という言葉をメモ帳に走り書く。告げる渉は写真の隅を指で撫で、山田の同意に頷いた。
「私自身は、実のところ詳しくありません。氏子でありますが詳しい説明を祖父は好みませんでしたし、資料も隠してしまいました。探偵さんの連絡先だけは無くさないようにと言われていまして、なにかあったらそちらに連絡するように、と言い聞かせられもしたのですが、しかしそれ以上はなにも。私が若かったからだとは思いますが、お恥ずかしい限りです」
「実際のところ、神職じゃねぇんだ。そんなもんだろ」
「……有り難うございます」
素っ気ない山田の物言いに、静かに渉が答える。神職、との単語が唐突に思え、横須賀はそれを走り書いた。事前に聞いた情報では土蔵建造は陶芸家、その孫である渉は木工職人。神職はどちらも無く、山田の言葉は事実でしかない。
しかし神職じゃない、という言葉が出たということは、そういう事件なのだろう。考えてみれば山田が過去に受け持ったのだから、特殊な案件であることは確かなのだが――遺品を受け取るだけの依頼が一転、奇妙な状況になっている。
「コエツボ、といっても、この段ボールにあったものは、ただの型です。壷自体、本来は
渉はそこで言葉を切った。は、と息を吐いて視線が段ボールと写真、それから畳の縁に動く。上がらない視線と続かない言葉に、山田がとん、と指先で畳を叩いた。
「行方知れず、と言ったな」
再び重ねられた言葉に、渉が顔を上げる。こくり、と頷くのを見て、山田は三度、指で畳を叩いた。
「無くした、でも見当たらない、でもなく、行方知れず。壷自体、本来は
ゆっくりとした物言いに、渉が目を伏せる。表情は静かだ。
「壷はどうした」
「……行方知れず、です。壷が消え、段ボールを確認したところ型も無くなった。ですから恐らくは、誰かが持って行ったのでしょう」
渉が息を吐いた。ため息と言うには長く、深呼吸というには少し違う。ふん、と鼻を鳴らす山田の様子に、強い感情はない。呆れでもなければ、軽蔑とも違う。それでも肯定的ではなく、まっすぐと渉を見据えていることがその体の向きでかろうじてわかる。
畳が鳴る。段ボールが少しだけ動いたからだ。どちらが動かしたか、判断するには微かで、しかし渉の視線がやや遅れて揺れたことは横須賀にもわかった。
「遺品を受け取る、じゃなくて明確に問題があったのなら先に電話で教えて貰いたかったもんだな。こっちにも準備がある」
「すみません」
「理由はなんだ」
山田の問いかけに、また渉が目を伏せる。考えているのかそれとも別の意味があるのかは、言葉が少なすぎてわからない。
「古い物が無くなった、程度のことですし。
「俺たちは部外者だ」
とん、と山田が言葉を落とした。事実で言うなら話を遮ったのだが、その言葉はどちらかというと断ち切るよりも目の前に置くような調子を持っている。
言葉を受けた渉は顔を上げた。眉間に寄った皺は、剣呑としたものではない。
「説明が少なければ少ないなり、多ければ多いなりに対応する。たかが遺品を受け取りに来ただけの探偵だ。物もなけりゃ意味もねぇ。依頼なら依頼らしく。準備が居るなら戻るし、相談事なら話だけはしてやる。保証できるのは守秘義務くらいだ。
アンタが犯罪者でない限りは、先代の縁でそれなりに考えはする。事務所で話した方がいいか、聞いた理由も説明しなきゃなんねぇほどか、アンタ」
守秘義務、という言葉を聞いて、少しだけ渉が唇を動かす。それから犯罪者、という言葉で目を閉じ――最後の言葉に、もう一度目を開いた。
さり、と畳が鳴る。渉が姿勢を整え直し、それからもう一度息を吐いたからだろう。横須賀はメモ帳を一枚めくった。
「行方知れず、なのは壷だけでないんです」
言葉の後、渉はすっと右手奥、仏壇隣の掛け軸を一瞥した。横須賀は美術品に詳しくないのでよくわからないが、水墨画であることはなんとなくわかる。紙は日に焼け褪せており、その絵を飾る布は糸が煌めいて見えた。
絵自体は、横須賀には難しかった。小さな山のようななにかの絵、その周りにある木、黒い影の丸からくねくねと伸びる黒、空にあるのは黒い太陽だろうか、それとも虫だろうか。丸から放射状にのびた線が何を表したものかはわからない。掠れた墨のタッチや、柔らかい薄墨で草木があるのに、ところどころべたりとした黒は随分と目立つ。
「――子供がひとり、いなくなっています」
こども。内心で復唱し、横須賀は自身の左手を撫でた。じっと続きを待つその視線に、渉が目を逸らす。
山田は黙したままだ。それは踏み込まないと言うより、語らせるためのものだろう。
ややあって渉は、再び口を開いた。
「地元の子供ではありません。モドモリから来た子供だと思います」
モドモリ、との言葉に横須賀は紙を撫でた。聞いたことのある音で、メモに文字を書くまではしないまでも、ペンを少し浮かせながら動かす。
「壺を引き取りに来るように言われた、との話でしたが、その話を私は受けていませんでした。そもそも私自身、壺を管理していると言うには足りません。
「普通に考えれば虐待、ではあるな」
重い渉の言葉を、山田があっさりとした軽さで引き継いだ。渉が頷く。所作に倣うように、瞼も降り、持ち上がる。
「ええ。児童相談所に連絡をと思いましたが、子供は私の側を付いて歩いて、子供の前でそういう話をするのも、と躊躇いました」
一度の呼吸。肩の上下だけで判断できるそれは、すぐに会話に紛れた。
「念のため子供自身にも話を聞きましたが、親の話は決してしませんでした。ただ、引き取るのだと。それを頼まれたからせねばならないのだと、言いました。出来ないと困る、お願いです。そう懸命にその子は言いましたが、けれどそんなの、無理でしょう。
壺が私の管理、という問題じゃ無いです。先程も言いましたが、例え壺で無く私個人の、さほど重要な物で無くてもするわけには行きません。渡せば簡単におしまいになります、私は関係ない。だからきっと、気付かないふりをするのは自然だと思います。でも私は、その子を案じてしまった。なにか手を伸ばせないか、その子の未来に悲しい結果がないか、考えてしまった。
だから私は、とにかく今日は泊まって行きなさい、渡すにしても渡さないにしても、私だけでは難しい。明日きちんと、話をするから。そう言ったのです」