(2019年に別所で投稿したものを再掲したものとなっています。)
しんどいことが多い。原因はわかっていて、それは先日話題にした件を引きずっている、ということだ。私はどこかの誰かが筆を折らない為に、ああいった話題にはいつも戦う気持ちで声を上げる。非常にささやかな戦いで、しかしその戦いの場所に私は立っていない。非常に悔しく、苦しく思いながら声を出す。自分のような考えの声は、ああいった話題よりもよほど小さい声になってしまうとわかっているからだ。私の声は結局片隅のものでしかなくて、なんら意味を機能しない。そうわかっていても、私は私の傲慢な願いでもって、声を上げる。
それは私の身勝手さであり、しかし私を守るための声ではないのだということを、私は思い知ってきた。
しんどい。今の素直な気持ちは、そういう言葉で表される。
私のために戦う私も、私を守る私も足りてない。なのでちょっと整理して、しんどいものと向き合おうと思う。
というわけで下記には自身の恐怖と今なにができるかをとりまとめてみる。言語化は自身と切り離し向き合うツールとして便利だ。私はだからこそ言葉を愛しいとも思う。
【しんどい気持ちについて】
今もっともしんどいものは絵だ。あの話題は文字書きだったが、調べて向き合うという点では多くを必要とするツールだろう。私は絵描きではないが、絵が好きだ。表現することが好きだ。しかしあの話題に準拠すると、それだけではだめなのだ。調べれば多くを知れる、見れる。さらに言えば美しい人体比率すら出てくる。かけないのになぜそれを参考にしない? そう言われてしまえばぐうの音も出ず、生き生きとかけないからだといういいわけは、調べてないのに笑われてもしかたないだろう、恥ずかしいというあの話題の言葉で一蹴される。私は努力をしていない。私の完成は他人にはもっと頑張れるだろうと言うもので、私の好きは他人には面白味のないモノだと知っている。
幸いなことに、好き、と言ってくれる人がぽつぽつとお目にかかれるようになってきた。それでも、好き、と不正解は別だ。あの話題は不正解を出すのは恥ずべきことで、創作者として問題があるような言われ方で、私はそれが本当に怖い。創作者ではないと自分を慰めながら、ただただ、心が弱ったときにひどく怖くて仕方なくて隠れてしまう。怖い。私は頑張っていない。
不正解を言われる機会があった。だからこそ、あの笑う声は非常に身近だ。そしてそれが創作者としてどうかという言及になると、とたん私は息が止まりそうになる。私は創作を愛しているが努力していない。しんどい。
頑張って比率の勉強をして教本を読んでも、足りない。比率を使いこなすには自分の理解も技術も足りず、そして比率を使うと非常に線が硬くなる。かきたいものにならない。けれどそう言い訳すると、それくらい、と言われるのだろうと思って身がすくむ。
そもそも人の顔だけをかきたいんじゃない。物語をかきたいのに、いきる人柄をかきたいのに、人の顔すらかけず練習してしんどい。自分の絵柄はまずリアルな絵をイラストに落とし込むバランスのモノだからリアルを見ているけれど、実際の創作はリアリティよりもイラストの部類に落とし込むから、練習が創作に繋がらないのもしんどい。下地として大事だけれど。なにより不正解ばかりが目についてつらい。がんばんなきゃ、といいながらなにもかも出来ていないのだ。
人の絵ですらバランスが目に付くようになって楽しめなくなってしまう。好きな絵は好きだけれど、ときおり見かける絵に対して不正解が見えてしまうようになった。すてきなものを拾い上げる目こそが芸術の目だろうに。逆にいっている、苦しい。頑張りが足りない。なにもかも足りない。私は絵が描けないという事実ばかり突きつけられて、努力が足りなくて、そして笑い声が怖いのだ。一種のノイローゼじみている。おそらく別件でメンタル弱ってるからだろうなあと客観的になれているのでそこまで病的ではないが、しんどいもんはしんどいのだ。しんど。
私は楽しい絵、愛があふれている絵、生き生きした絵が好きなのに、かきたものがわからなくなってきてしまってもいる。ただ、不正解な私はどこにもいられないのだ。笑う人は怖い。ただただ、怖い。
それでも一応文章は大好きで、絵よりもちゃんと好きを見つけられる。でも、やはり努力には足りない。私はなにをしているかといったら、していない。これは苦しいけど、面倒だからひっこめてしまえばおしまいだ。閉じこもればいい、と思う。全部消してしまいたい衝動は耐えた。恐怖で彼らを失いたくなかった。ただ続編はひっこめた。創作者には足り得ないから、私の愛でもってひっこめた。適切な場所でまた掲載したい。
【自分が今できること、すること】
しんどいときは視野が狭くなっていて、出来ないばかりが目立つのだと思う。そして出来ないことから目がそらせなくなっているのもある。とりあえず、自分の能力と現状の整理をしたい。
1)絵
・顔の練習(比率の使いこなし、模写)
・写真の模写
正直に言えば全力で楽しく無いどころか死にそうに苦しい。ので出来れば目をそらすか、作業として行いそれ以上は求めないようにしたい。
かきたい小ネタ、マンガもどきっぽいものがあるのでそれをかくのもいいが、結局不正解の声が怖いので勢いでかけるときにして、無理に向き合わなくていい。
基本的に完璧がかけないから目指さないし目指したくないし不正解よりよい点を伸ばした方がいいという考え方だが、恐怖がそちらに向いている時期はもう仕方ないから鬱々と向き合うしかないし、向き合いながらも意識して目をそらすのが健全だなあと個人的雑感である。
2)文
・探偵記録者続編
・カラスの尾羽
・不器用な僕等の話
幸い書きたいモノが複数あるので、気晴らしに書くのがいいと思う。カラスの尾羽が長くないはず(予定は未定)なので、そちらを題材にしばらく気晴らしするのがいいだろうか。カラスの尾羽はせっかくなので思考の言語化題材にも楽しそう。楽しいはよいこと。公開はしばらくしないで引きこもってるといい。
3)モデリング
・探偵事務所
・人物
・ノードの勉強
ノードが難しいので先にそちらを調べた後、ひたすら小物を作るのもいいかな、と思う。こちらについては創作などよりも確実に完成品が先にありそれを追いかけるだけで頭を使わないし、工数が無駄にかかるが必ず進むのでメンタルに優しそう。
ただ人物については結局不完全さが目に付きやすいので無理しないでやるのがいい。やりたいときに向き合うくらいで。
ノードについて説明詳しいところあるといいんだけれど、やってるひとがレベル高くて難しいのが難点……。
4)サイト作成
・コーディング
・素材作成
デザインセンスのなさにこれもこれで打ちのめされるので気分が元気なときにやる必要がある。完成、と思った後センスなさすぎると思い知る時間がだいぶ面樽を殺しにくる。へこむ。
人が行えることは限られている。時間的な問題があるからだ。
それでもやりたいことがたくさんある。自分でやりたい、という欲求は器用貧乏となりデメリットも多いだろうが、創作の箱庭を作る、組み立てることが非常に好きなのだ。形ができあがり中に詰め込んでいくことが楽しくて仕方ない。
楽しい、を失いたくない。絵については完全に楽しいがわからなくなってきている。恐怖が強い。幸いやりたいことがたくさんあるのだから、メンタルの波と向き合って頑張っていきたい。
コンプレックスはなくならない。作り手は怖い。人の普通が私には普通ではない。私はなにもかもできないことだらけだ。
だからこそやりたいことに向き合う根性も、いろいろなことに手を広げられる行動力も、大好きな創作を持ち続けることも出来ている。
苦しい。苦しくて怖くて仕方なくて、それでも手放せずに今まできた。どうせまた手放せない。私には創作が必要なのだ。細々とでも続けられることを見つける必要がある。自分で自分の生きたい生き方がままならないとき、お金をかけずに細々と、それでもすがる呼吸の場所なのだ。
怖い。指摘はされたことがあるし、出来ないことばかりがよくわかる。私は頑張っていない。普通の人は、普通に、当たり前に、あれをしろ、これをしろ、そうでなければならないという。
怖いけれど私は私の創作を愛しているので、出来ることだけを見つけて、転がって、抱きしめて、続けるしかできないのだ。
創作者に私はなれないし、それでいてそういう声が常識としたくなくて戦って、でも戦うのは私のことではないから、結局のところ沈んで、おびえて、また繰り返す。
あの発言や笑ったりしたひとは、それは違うというかも知れないけれど。私にとってはどれも同じなのだ。人にとって当たり前の能力が違うこと。そして自分が足りていないこと。
おそらくこの恐怖は、以前言語化したものもない交ぜになっているのだと思う。国語を愛するために自身が愛したことが悪いのだと思い込んだ子供時代。それに対してそんなことないのだと言えるようになった今も、私は許されないことに怯えている。
客観的に言えば馬鹿馬鹿しいし、私は私がやりたいことを優先するしかないし、そんなことで嘆いている人が居たら君の物語を愛して欲しいと語るし、だからこそ先日の話しで私は懸命に言語化したのだけれど。
それでも怖いよね、そうなってしまうよね。わかるけど切り離そうね、私。という向き合いがこの記事で、だから全体的に支離滅裂でしっちゃかめっちゃかだ。何も出来ないというには何かをやり続けて、でも、結局出来ず、私が愛することで否定されることが怖くて、ああいう、当たり前が怖くて、怖くて仕方ない。私は私以外のために私自身の身勝手で声を上げるけど、何度も言うけどそれは私を守らない。わかっている。思い知っている。
はーーーーーーーしんどいけど創作好きなんだよねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。なにもかもできないけれどなにもかも手放せないのだ。そうしてわたしはいきてきたし、いきていく。
貴方の普通は、誰かの特別。私は結局、頑張れない。
好きだけは手放したくないし、恐怖してしまう日々がいやだなぁ。えいお。
どうせつくらなければいきていけないのだ。
(初出:2019/05/29 再掲:2023/01/19)