(2020年に別所で投稿したものを再掲したものとなっています。)
はじめに
この記事は自分が描きたい絵について思考の言語化を行った物です。全ては個人の感性・思想による偏ったもので成り立ちます。誰かにこうであると言ったり、強要するものでも常識を語る物ではありません。
絵を描くに当たって苦しんでいることと向き合うために、自分が目指す絵や好む物、そういった中で何があるのか、という点を分析→苦しんでいる原因とならばどうすべきかの検証を行います。雑然とした思考をそのままショートカットせずに晒す形をとっているので、まとまりがなかったり話が前後したりしますがご了承ください。
自己分析により、ネガティブな表現も含まれます。引き摺られてしんどくなってしまう方が閲覧する際にはご注意のほどお願い致します。
目次
1.好きな絵について(何が好きか現在の分析)
A.強烈に残る絵
B.息を呑む絵
C.つい見てしまう絵(つい惹かれる絵)
2.なにを目指して今描いているか
1)「強烈に残る絵」が合致しなかった理由
2)「つい見てしまう(惹かれる絵)絵」を描く為に
3)個性の案配について
3.自分が苦しんでいる原因(世間とのギャップ / 自分の趣味について)
1)世間の需要とギャップについて
2)今辛いのは何故?
3)苦しい、から進むために、どうすればいいだろうか
4.結論
1)自分が絵を描いていくために理解すること
2)現在自分が抱えている作業
1.好きな絵について
まず、自分がどんな絵を好むのか分析していきます。例に挙げたもの以外にも色々あるのですが、とりわけ自分の内側に近いものを上げます。何を描きたいか、といった自己分析に繋がる物です。
A.強烈に残る絵
ダーク、その中でもとりわけ血反吐や吐瀉物が香りそうな、自分の腕に切れ味の悪いノミで線を刻むような絵が好きです。
具体的にいくつか上げていきますと、インクの跡がわかるような線。かすれだったり、震えだったり、強弱がある物を好んでいます。線一本引くにも意思が見えるような、筆圧を感じられるような線と黒ベタが多く使われた物にそそられるのです。画面がぱっきりしたものだったり、ぞわぞわとするようなものだったり、ぞっとするようなものだったり。とにかく主題にあるように強烈な絵を好んでいます。
また、どちらかというと四角というか、硬質的なもの、線がカチッとしたものを好みがち、な気がしますね。過去に好きだった同人作品の絵が強烈に残っているのですが、中々商業などではこれ、があげられないのは私自身がほんわかした物語を好むからです。絵の好みではあるんですが、物語はあまりにも体力消耗するので難しいんですよね……。
B.息を呑む絵
ひたすら細かく描き込まれた、世界が伝わる絵が好きです。細い線が重なるタッチはどことなくやわらかで、とにかく背景美が強い絵に惹かれます。描き込みの美しさで魅せる物に息を呑むことが多いです。
具体的に見ると、線自体は細く短い印象です。線の重なりや細かい強弱で世界を作っており、ベタではなくハッチングがメイン。Aがパキッとした絵ならこちらはやわらかさ、抜け感など。筆圧もやわらかめで、細かい線の中でも強弱が感じられる物か細い線が徹底して細く細かく描き込まれた物かのどちらか。とにかく背景力が段違いでありすぎるものを好んでいるので、単純な線やタッチだけでない部分があるかもしれないと思いもします。細かいタッチの人、大抵背景が綺麗だからセットで見てしまっている自覚はあるのですよね。例をあげるとすると、蟲師などでしょうか。
C.つい見てしまう絵(つい惹かれる絵)
全体を見せる物が多く、遠景気味です。背景はしっかり描かれていても細か過ぎはしないですね。線の太さはそれなりで、太すぎないが細すぎもしない感じです。いわゆる一般文芸書の表紙絵にあるような、あまり漫画的になりすぎない・キャラクター色が控えめのものを見てしまうところがあります。シンプルな絵、と言えるでしょう。
具体的に考えますと、恐らく丁寧に描かれた線にそそられています。一本一本が自然に繋がっており、強弱はあまり激しく出ていませんね。しかし線自体にテクスチャ効果があったり、テクスチャ効果が無くても強弱が見て漏れるのでどれにしてものっぺりしないような演出をされている印象です。
色は単色や差し色、カラーでも色数が多すぎない物でしょうか。影や光をあまり何色も重ねて使うのではなく、まとまった色合いで見えるものを好んでいると思います。こちらはイラストレーターの丹地陽子さんやA-KAさんなどがあげられます。
ざっくりとすると以上でしょうか。前述した通り、魅力的な絵は他にも多種多様です。その中でも自分が近くに置いている物を羅列しましたた。この中で自分が何を選んでいくか、自分がどこにいるのかを理解するのが大事、と思っています。
個人的な考えなのですが、”上手くなりたい”では曖昧すぎるという意識があります。曖昧さは成長に繋がらず、ただの自己満足でしかない。そういった考えです。目的と目標を理解することが大事で、そうでないとただの自傷行為に成り下がりやすいという自分への警句でもあります。
ここから現在の向かっている場所を見据えていきたいと思います。
2.なにを目指して今描いているか
これについては度々言っているんですが、私は「A.強烈に残る絵」を描きたかった過去があります。先に結論を言っておきますと現在目指しているのは「C.つい見てしまう(惹かれる)絵」ですね。
ではなぜ諦めたのか、そして今目指している絵を描くために把握しておきたいことを言語化していきます。
1)「強烈に残る絵」が合致しなかった理由
これは単純な絵柄のミスマッチと、作風のミスマッチが原因です。
絵柄についてですが、線を引くだけで何度も描き直し、たった一本の線すら満足に引けず諦めました。線を引く、それ以上進みようがなかったのが過去の記憶です。何度かチャレンジをしていますが、自分の引く線はどちらかというとやわらかい方向だったのでどうしても線の時点で違う、となってしまいました。
また、ミスマッチに挑みながらも諦める選択をしたのは、無理だと実感しただけでなくそもそもの作風があります。絵でも文でも、私はやわらかい話を好んでかいてきました。優しい話やどうでもいい日常を愛し、物語や絵をかいてきたわけです。故に、強烈な絵であげたものとは作封じたが真逆であり、一本の線すら引けない絵を努力して引けるようになっても実際作る物には使うことが出来ない故に工数を考え諦めました。
2)「つい見てしまう(惹かれる絵)絵」を描く為に
具体的にどうすればいいか、を、絵を見てそのまま反映できれば良いのですが、私はどうしても言語理解なので細かくあげていきます。
①細すぎない線。強弱はいくらかほしい。その中でも安定感のある線に憧れている。
②色数は多すぎないこと。かといって減らしすぎるのも少し違う気がする。イラストとして差し色のみのモノクロはありだが、常に目指す物とは別。
③自分が綺麗・格好いいと思う内容が自分にとって描きたいと思うものとは別と言うことを理解する。
こちらの③についてですが、ガッツリぶん殴るような強烈さを持つ絵には憧れるものの、人目を引くそれらとはまた別の場所を自分は目指しているという自己理解です。とすると、インパクトよりも日常にまぎれる人間の所作など、生きる人のインプットが必要なのではないか、とも思います。正直自分はそういったインプットが苦手なのですが……絵としてみる時、生きている人の、繋がっている生活が魅力的に感じるようです。
3)個性の案配について
2)の項目に繋がっていますが、私が描いていくにあたって、好きな絵柄と個性のバランスを意識していく必要があります。私は前述したとおり一般文芸の表紙にあるような絵が好きです。それらはキャラの個性が出すぎず、漫画的になりすぎず、しかし無個性と言うにはキャラクターと物語が存在している案配が美しい、と思っています。
そういう案配で言うと例であげたイラストレーターさんの丹地さんが近いのですが、私はキャラクターを求めている部分が強いためバランスで言えばA-KAさんの絵柄が理想で、今目指している絵です。
描きたい絵として「三次元を二次元に落とし込んだもの」が上げられるのですが、そういうリアルだが平面的な物を好む中で、二次元がシンプルだとかそういう形だけでなく、「個性」という点を含めたいのだと自認しています。誇張表現とも言うべきでしょうか。
物語をキャラクターのためにねじ曲げる,またはキャラクターを物語のためにねじ曲げる、と言うよりも、かきたい物のためにそれらを関係させながら作っていく長期スパン型なのもあるのか、絵ではこのキャラクター性を失いたくないのです(純文学風の小説も書くので、そちらの表紙絵ですとまた違ってきますが)。しかし同時に、所謂二次元美の強い特徴的なものを描きたいとも違うと自覚しています。それらは好む物であり摂取は積極的にするのですが、あまり美形などに興味を持たない個人的嗜好があるためか自分で描きたいという意識になりにくいのです。
自己分析している絵の好みで言うならキャラクター性を出しすぎない方が、となりそうですが、私の趣味嗜好に基づくとキャラクターはがっつりだしたい、というのが一つの軸です。その為、個性の案配を好きな絵柄よりも強めることは、自分の中で大切な要素の一つになっている気がします。キャラクターの魅力を伝えるために自分にとって必要なことなのです。多分。
3.自分が苦しんでいる原因
現在、ここまでスムーズに言語化できているように、ある程度自分の中での方向性は(以前の五里霧中に比べては)出来ているように思います。ですが正直、とてもとてもしんどい現状があるのも事実です。それは何故か。
簡単に言うと、「世間の需要と自分の好きと目指す方向に置いてのギャップ」が上げられるのかな、と考えています。分かっていてもどうしようもないのですが、これらを分解し、もっと自己理解を強めようというのが今回の趣旨に含まれます。
1)世間の需要とギャップについて
とりあえず徹底して違う部分とか困っていることと向き合うのに、体感的なものを書き出します。実際と違うなどあるかもしれませんが、個人的な感覚ですので。まあこの記事全部そうなので今更ですが。
ストレスとは理想に敵わない時に起きるので、ストレス原因を理解しどうしていく決めようね、という話です。
世間を一般と表記し、一般的に考えられることと自分の求める物、現状を順に羅列して行きます。
①一般:強烈な絵・刺さる絵が目にとまりやすい。
自分:馴染む絵を描きたい。
現状:強烈さがないので目にとまりにくい、RTといった共有したい欲に繋がらない作品となっている。
②一般:キャラクターの萌え(可愛い、綺麗、格好いいなど)が強い物、またジャンルが分かりやすい物が好まれる。個の強さは魅力である。
自分:地味が好き。個性を絵に取り込もうと考えているが、その個性自体は地味であり、所謂記号的二次元的魅力が入れられていない。
現状:個が好き、というフックを与えづらい。強烈さなどがないのと繋がっているが、「これだから好き」「こういうのが見たい」に繋がらない。
③一般:シチュエーションの萌え(恥じらう、バトル、駆け引きなど)の表現が強い物が心を揺さぶりやすい
自分:たとえ同様のシチュエーションであっても表現がマイルドになりやすい。たとえば恥じらうシーン。涙目で赤面するキャラクターといった、シチュエーション及びキャラクターの萌えを揺さぶるものを描くケースに自分自身そそられるが、自分が描く時はじわじわと熱が広がるやそっと息を呑む、ほんの少し目を伏せるなどといった、照れだけに絞ってみても表現の幅が狭めなものを好む節がある。
現状:シチュエーションが好き、と言った人のフックになりづい。また、強烈さがない為興味が無い人が良いと思うような引き込む力を持てない。
一つずつ世間と自分と現状をあげていきましたが、細かく向き合う前に大事なことをあげておきます。一番忘れていけない部分です。
好みは好みで、存在して大丈夫であるということ。そこを間違えてはいけないと自認し続けなければなりません。
好みを曲げる、とするのは商業などで食べていく人たちまたは向上心が非常に高い皆様ならありえるでしょう。しかし、私にとって創作は趣味です。絵でも文でもそれらは変わりありません。自分は「好き」をかきつづける為に創作していることを忘れてはいけないのです。
※ただし、世間一般の需要を考慮しないのはまた別でしょう。それらは絶対ではなくとも傾向として存在しています。存在しない、またはその一般的な流行や好みを否定するのは現実を無視したおかしな行動です。事実は事実として客観的に把握する必要があります。そして把握すると言うことは、ある意味では自分自身の作品を傷つけずに向き合うために大事なことでもあります。
また、前述に加えて自己理解するべきことがもうひとつあります。世間の需要と自分の好みにギャップがあっても、「見て貰いたい」という気持ちを持つ事実を否定しないことです。
私自身は見られなくても作り続ける創作大好きな人間であり、そもそも見られることのほうが珍しい一人でマイペースに走り続けてきた勢です。けれども同時に、好きなものを共有すること、好きなものを好きだと語り合う心地よさを商業作品などを通して知っています。ならばそれを、自分が好きな要素の共有として手っ取り早い自作に求める気持ちはあるだろうということも。
また、そういう中で私にとって「絵」というものを「絵描きではないから頑張れない」としながらも、(自分にとっては)時間を掛け向き合い付き合い続けてきた止められない趣味の一つである事実を受け止めることも大切でしょう。
結局私は、小説だけでなく絵も見て貰えたら嬉しい。あわよくば小説を読んで、好き、を共有出来たらもっと嬉しい。そういう素直な気持ちを持っているのです。
ただし、前述にあげているとおり自分が世間の需要を埋めていない事実を理解し、他者に強要しないこと・共有するには自分の努力が足りないことも同時に理解していくことが肝要です。
やっていないのに求めるのは違うし、たとえやったとしても他人に求める物ではないでしょう。娯楽は娯楽であり、他者をコントロールする物では絶対にないからです。ならば、どうしていけば自分はこのギャップを悲しいものとせず、付き合っていくのかを考え、努力し、まあだめでもそりゃそうだとしながら進む方向を見つけて歩いて行くか、が重要だと思っています。
技術と傾向は関係していますが、同一ではありません。また、自分の好きとそれらも必ず同じ場所にむかっているとは限らないものです。そしてそういう中でひたすら五里霧中で歩けばうまくいくかといったらそれも違うと思っているのだ。
わからないときは立ち止まるよりひたすら五里霧中でも良いでしょう。なにもかも諦めるより、途方に暮れたままなにもしれないよりよほど良い。
しかし私はこれだけ言語化している段階にいるとも言えます。せっかくなら、もう少し先を見つけたい。ぶっちゃけてしまうと私の頭は絵描きの方々と違い脳みそが文字でできすぎているので、文字理解しないと絵が描けないところも多いからですね。面倒な脳みそだと思います。嫌いではないのですが、正直だいぶ手間が多い自覚はあるのです。仕方ないですね。
2)今辛いのは何故?
さて、既にいくらか話している内容ですが改めましてこの項目と向き合っていこうと思います。長く続いた1)が辛い理由と言えるのですが、そこからもう少し踏み込んで考えていく、という形ですね。
①需要と自分の好きのギャップが埋まらない=好きなものをあわよくば魅力的と伝えたい、きっかけに絵を用いたくともそもそも需要とのギャップがあるのでどうしようもない二進も三進もいかない。
このまま進んでも望む効果(=吸引力を持つもの、きっかけになるもの、好きを共有するためのもの)が得られないという自覚に繋がっている部分でもあります。
しかし、そもそも私はなぜギャップを埋めたいのでしょうか。この件に関しては「あわよくば同志を増やしたい」に繋がるのでしょう。それは自分の好きなものを好きな人が居ると嬉しいという理由に加えて、「この趣味を有するごく少数の同志と出会うには、そもそもの絶対数を増やさないとひっかかりようがない」という動かしがたい事実も強い理由の一つです。
更に考えると、単純に共有して楽しいが出来るのに憧れてもいるのかもしれません。私自身版権ジャンルと長く触れていました。大抵好きなものはマイナーで同志が少なかった過去を持っていますが、それでも「キャラクター」という共通点は同志を見つける手段として利用しやすい物でした。しかしこういった方法は自創作では無理な方法でもあります。キャラクターなど前提条件がないからです。これを解決するにはやはり共有しやすい個性や強烈さが必要ですが、私自身が好むものはそういった要素から離れているので難しいでしょう。
しかしこの①の項目については、周期的なヘコみで付き合っていけば良いだけのようにも思えます。普段は一人でひたすら突っ走ってご機嫌になれる特性があるためです。見られないことを当たり前に受け止めるだけの時間は過ごしているので、特に気にしない時は気にしないんですよね。
周期的なヘコみや憧れを無視すればさほど大きな問題ではないのかもしれません。現状ヘコんでいる原因ですが、冷静になればこれは仕方ないとできる部分でしょう。
②現在細い線で描いているので、理想を追いかけながらも完全な合致とはしづらい。
これは、ならば細い線を止めて少し太めに切り替えればよいと言ってしまえるでしょう。けれども現在私が太めの線を封印しているのは「描けないことを誤魔化さないように」です。どうしても基礎技術が無いのでできないを誤魔化しがちなのですが、無い中でも向き合う為、現在描いている立ち絵については線をあまり太くならないようにしています。
線の魅力を出すには、まだ足りないのです。現状の基礎値をもう少し上げてから取り組まないと基本が出来ないまま逃げてしまう自分のダメな部分があります。その為行きたい方向に行けていないので焦っているのでしょう。
こういった現状から考えるに、もう少しなんとか絵を、というもどかしい気持ちが生じるのは仕方ない部分があります。
③そもそも現在描いているのが立ち絵であり、物語が見えづらい。
これもどうしようもない部分ですね。
立ち絵を描くのはサイトを作りたい願望から急務です。また、これまで頭をいかに使わず描いていたんだと現状呻いているくらい適当にやってきたので、身長差と頭身を反映した絵を描くためにも勉強になっています。やっていること自体はネガティブな物ではないという自認識です。
が、自分がかきたいのはあくまで物語なので、性格や彼らの物語での立ち位置、関係性を反映させても、やはり立ち絵だけでは足りない部分があるのも事実です。そういう中で、サイトの為である立ち絵はあくまで目的の為に揃えている必要アイテムでしかなく、結果に結びつきづらいものです。やっていない、という焦りも相まってしんどくなっているのかな、とも思います。
④速度がなさ過ぎて焦っている。
これは全体に言えることですね。速度があればそもそも立ち絵から先に進めているでしょう。速度が足りず立ち絵以外を描けないところや、魅力的に出来ないところ、量産できないから目に留まるもないだろうみたいなところがあります。結果、現状の(私にとっては)丁寧すぎて時間がかかる物がしんどいのでしょう。
3)苦しい、から進むために、どうすればいいだろうか
ここからは向き合ってどうしていくかについてですね。一個ずつ考えていきます。
まず、一点根本を。強烈な絵、刺さる絵を私は描くだろうかといったら描かないでしょう。それをやったら好きなものが変わってしまいます。キャラクターやシチュエーションについても同じくです。
では、絵や作品にてなにを求めていけば、自分はギャップを埋められるのでしょうか。または、仕方ないと考えられるのでしょうか。
(※そもそもギャップは埋めなくてもいい、と思っています。けれども苦しい原因であり絵をがんばりたいという気持ちがあるのなら、進む為の道しるべを見つけることが必要だと考えてこの時間をとっています。なので私はここから考え出す必要があるのです。あくまで私は、です)
吸引力、を技術は底上げできます。ただし、人の目に止まる時のスタート地点は、ジャンルや需要を満たしているかなどが関係してくるとも思っています。技術を上に積む時、最初の土台が高くなる。スタート地点が上になる印象です。
また、ジャンルというものがしっかりしていると、それを求めて探す人も見つけやすいメリットがあります。私自身の技術が足りていない以外にも、そういった傾向を理解する必要があるでしょう。
(※ただし、ジャンルさえあれば人気が出るからといった考えは危険です。需要があると言うことは埋もれやすいということでもあります。時折流行りジャンルを馬鹿にする考えを見ますが、そういうものは個人的に違うだろ、と思っています。すごいんですよ、皆さん……)
さて、需要を目指せないなら技術を磨くしかないのかといったら、そういうものでもないと思います。そもそも魅力的なイラストレーターさんの作品だって全員に刺さるわけではありません。だから、技術だけでなんとかなるとは言えません。芸術の中には努力と計算が詰まっているのです。技術が無ければどうしようもない部分も確かにありますが、しかし、という面ですね。
そうやって分析していくと、基礎値を上げようと頑張りながらも出来ることは、他にもあると私は考えています。
よくある努力傾向だと数を増やす、が言えるでしょう。これについては先にあげた辛い点にあるように速度がないのでどうしようもないのですが、しかし、それはそれとして覚えておくべきところでもあります。これは私の「好き」をねじ曲げなくて良い部分だし、私の「馴染む物」は、繰り返すことで映える部分もあると思っているからです。そうやって繰り返して行く中で流し見した誰かが、いつしか愛着を持つようになったらしめたものですね。
ちなみに、この「馴染む物」はあくまで蓄積であり、フックには足りないのも理解するべきでしょう。こういった「馴染む物」を繰り返し、押しつけがましくならないようにしながら馴染んで貰ったところで、ネガティブな感情を持たない中で「意外性」もしくは地味な中でもふと「疑問・好奇心をそそらせる」ようなフックをたまに混ぜることが必要でしょう。きっかけって大事です。積み重ねられたその背中を押す一歩、が上手くいけば万々歳ですね。
そんなに上手くいく物ではないと分かっていますが、この馴染んで貰えるような積み重ねは自分の作風にあっているように思えます。この傾向は元々質より量な部分で版権ジャンルからあった部分なのですが、現在絵を頑張ろうとして速度が下がっていることでストレス値に繋がっているものでもあります。先に挙げた④の速度がなくて焦っている部分ですね。
ただ、数を増やすのは速度がなくても重ねることでもなりたつのを忘れてはならないでしょう。積み重ねは大切です。小説を書き上げたいが強いので小話を量産など出来ていませんが、絵で物語を重ねた中で、一枚まとまったものをかけるようになったらまた印象が変わってくるのではないでしょうか。
連続性のある絵を求めるのはやはり自分にとってしっくりくる方向です。
さて、どうしても辛い中に「自分の趣味があまり一般的でないこと」が上げられるのですが、それは「普通なら嫌うが好きな人はどちゃくそ好き」というような強烈なジャンルでもなく、ただただ、「まあ嫌いじゃないけどわざわざあげるほどでもない」というものを好んでいるところが原因ですね。
そして、この好んでいる物をよく魅せたいと思うあまりどうにかせねばと思い、しかしやり方がわからなくて呻いているのが現状なのだと思います。
強烈さ、は、どうしても求めてしまいます。それを好きだとする人の熱量含めて、非常に憧れだからです。けれども私はそういうものじゃないから、を、忘れてはいけません。
数を増やすに繋がるのですが、こういう魅力が愛着につながるように、絵を描くならネタを含めるのが大事でしょう。文字を書くように一枚の絵を描く、のも好きですが、あれは所謂フックの部分になりえるでしょうか。積み重ねるならもっと些細な日常であり、またはささやかな小話の漫画もどきであり、という気がします。
フックは先にあげた文字を書くように絵を描く、背景に全ての意味を持たせる物やワンシーン切り抜きと言ったような部分になるでしょう。刺さるに足りなくても、「ああ、よいな」と見て貰えるような絵が好きです。だからおそらく、見て貰えないギャップを埋める場合はどれだけ描いたかの量とエピソードが必要なのでしょう。興味を持って貰うのに一枚だけや強烈なものはどうしても無理です。そのことを認めて、とにかく数をこなすのが大事だと自分を宥めていくことが大切でしょう。
4.結論
前述の理解から、なにをしていけばいいのかまとめます。
1)自分が絵を描いていくために理解すること
①ひとつひとつ、自分が描いている物を把握すること。
②即効性は無理だと認めること。憧れてしまう・ヘコんでしまう時は周期性だと思い過ぎ去るのを待つこと。
③速度がないにしても描きたい物を諦めすぎないようにすること。
④あまりにもヘコむ時はペンの太さを太めにしたり、今できなくてもやってみたいこと・理想となるものに対してチャレンジをすることで息抜きに繋げること。
⑤自分がしたいこと、何のためにしているかを忘れないようにすること
2)現在自分がやりたい作業(2020/04/08現在)
①立ち絵制作(サイト用素材作成 / 絵を描くためのバランスなど資料作成 / 色塗りや線を引く練習)
②サイト作成(拠点の作成(心の安全のため))
③リプレイ作成(可能なら(いい加減手放したい(やろうと思ったまま放置していたことがどうしても脳に邪魔するタイプのため)))
④版権のプレイ日記(手を抜いた絵と物語を簡易でかける為 / 手の抜き型の勉強 / または手を抜けないが作画コストが高い物と向き合って絵の練習)
⑤小話・エピソードのある絵の制作(魅力を伝えにくい作風なので馴染んで貰うため(記事で書いた理由 / 優先度が低いのはプレイ日記やリプレイと違いすべて考えながら向き合うため立ち絵をやっている時は余裕がない為))
現状の2)やりたい作業から考えて見ると、何度も繰り返していますがやはり現状のもどかしさは仕方無いものでしょう。そして、やっても無駄だという絶望やもどかしさに足踏みしなくてもよい、という結論もようやく出ました。
自分の趣味でも、ちゃんとやれることがあるはずです。技術を磨くだけでなく、世間の需要に寄せるだけでなく、私の好きにとってまだやっていないことがある。そう考えると、少しだけ安心もします。
まあやったところで上手くいくかと言ったら難しく、記事内で何度も言っているとおり他人に見られないことが基本のままなのですけれど。まだまだやってみることや共に歩むことがあるというのは自分には良い結論でした。
とにかく頑張って、でも無理して嫌にならない程度に趣味は趣味としてやっていきたいです。手が早くなるのはまだまだ無理でひとつずつ丁寧にしなければ絵もろくすっぽかけないのですけれど、かけば積み重なっていくことを私は文字で知っています。
ひとつひとつ頑張ろう、という当たり前の結論で記事を締めさせて頂きますね。頑張って今の私。
(2020/04/08)
※こちらの記事はTxT Liveの
https://txtlive.net/lr/1586084665316
https://txtlive.net/lr/1586088270629
で行っていたものをまとめた物となっています。