(2019年に別所で投稿したものを再掲したものとなっています。)
注意:TRPGやうちよそにネガティブととれるような話題があります。あくまで書き手の考え方や感じ方でしか無いものですが、読む際にはご注意ください。あとそもそも序盤内容がネガティブ。後半ひゃっはーはしゃいでますが。
「探偵 山田太郎と記録者 横須賀一の物語」の部分部分ネタバレ含みますがツイッターでも公言している範囲程度です。一応注意。あと同性CPのお話が入ります。
ちなみにこれどちゃくそ思考がごちゃごちゃややこしいです。読みやすさはない。
三浦仁、というキャラクターは、元々CoCTRPGをする為に作ったキャラクターだ。一緒にプレイする人のサポートをするため、なにかあったらこいつを肉盾にしよう、くらいで作っていた。そのシステムで遊びたいと言っていた人がはじめて遊ぶから、その手伝いに数だけ賑やかそう、くらいだったのだ。
元々私はその人が喜んでくれたらいいなと思ってCoCTRPGをはじめた不純者だった(重い)ので、まあ、キャラに愛着を持たないように適当に、ざっくり、関わって終えるつもりだった。
結論から言うと、私がキャラクターを作るのにそんなざっくりで終えられるわけ無かった。一緒にプレイした人は憧れの文字書きだったし、最高に楽しかったし、おかげでキャラクターに愛着を持ってしまった。三浦仁、という人間が最高に愛おしく、不器用で、格好いい人だと私は思ってしまった。その人とのプレイは大事な思い出で、三浦仁というキャラクターにとって最高の関わりだったと思っている。
ただ、それは結局TRPGという世界の中での話、だ。
自覚したのだが、私はどうしても「自分でコントロールできる話」を主軸にする節がある。TRPGはなるほど他人とするからこそ自分を曲げるし、物語に沿うし、しない選択もさせない経験も遭遇する。それらが魅力的なのだと思うが、それらで満足するかと言ったら、私は満足できない人種なのだ。
元々CoCTRPGがシステムとしてまったり楽しむ話でないので当然だし、プレイさせていただいた簡易TRPGなどもそうだ。おそらくそういうものを楽しむ人は波瀾万丈しんどい悲劇などを楽しむ。私はというと、ミステリーも謎解きも伏線もクトゥルフホラーも大好きなくせに、幸せ、が好きだった。
私の趣味と趣味が殴り合う、とよく冗談のように言うが実際の所本当で、私は謎を愛する私としあわせを愛する私が噛み合わない。しんどい話は苦手、なのに、謎が面白ければとびこんでしまうからややこしい。だから私はCoCTRPGを面白いと思いながらも、満足するかというと別だったのだ。
楽しいと満足が別って、理解されるだろうか。わからないけれど私にとってそれが一番しっくりくる言葉だ。そもそも楽しい気持ちにしんどさやどうしようもなく苦しくてぐるぐるしたものとか、楽しいだけ、というには私はあまりにも物語にのめり込みすぎて溺れそうになっていたから、そういうところじゃないの、と言われそうだけど、それもあるけれど、でもそれだけじゃないのだ。
私は私の物語に、幸福を与えたい。私は私の物語に、納得を与えたい。思った人が報われる話が欲しい。そういうものをTRPGや交流ではもとめてはいけなくて、そう、悲劇を楽しむ世界からではなく、自分が満足するには、納得するには私が物語を紡がねばならなかった。
私は私のキャラクターだとはっきりと言い切れる形で、三浦仁という人物を私の中に取り込んでいた。この子はこの場所では絶対に幸せにならないだろう。格好いい姿はこのTRPGでなら見られる。同時にそれはあまりにもみじめな経験をさせ続けることだったし、私は、悲劇を楽しむ人では無かった。誠実な思いが報われる話が好きだから、私は三浦仁、を、私の世界で立たせてあげたい、と、思った。あの世界では無く、こちらで。そういう気持ちで、でも、うまくやりきれなかったのが三浦仁、でもあった。
横須賀一の物語を書こう、と思ったとき、三浦仁も登場させることは決まっていた。横須賀一も三浦仁と同じくTRPGから生まれた子で、やはりコントロールできない部分で苦しんで、でも、だからこそ物語を書こうと思った子だった。横須賀一はあまりにも幸せから遠くて、私は私のキャラクターが幸せでない事が苦しい人間だったから、彼を幸せにする、その為に物語を書いた。
横須賀一はうまくいった。彼がしあわせになることを目標に描いたから当然だ。三浦仁のために、とならなかったのは、三浦仁の人となりがある。三浦仁はTRPGの中で苦しんだけれども、三浦仁という人間の弱さと強さは、彼がどこでも幸せであれる、苦しんでも立ち上がれる人物という安心感を作っていた。だから、三浦仁のためにはならなかった。それでも、横須賀一の物語に三浦仁は登場させると決めたし、私はその時、彼を私の世界で一人立たせられることを好ましく思っていた。
思って、いたのだ。
中々三浦仁が登場しないままの話になっているが、彼が登場する前、ひとつ私の中でややこしいことがあった。当時、あまりにも色んな事に凹みすぎて、登場させると決めた彼を、私は、「殺そう」と思った。そんな時期があった。
殺す、なんて中々不穏だろう。けれども当時の私は、それが一番私の心を救うと思っていた。三浦仁を魅力的と思うのは私にとってだ。彼はただの凡人で、いいひとで、それだけでしかない。悲劇の中で彼の気持ちが踏みにじられるのを私は見たくなかったし、私ばかりが三浦仁を思っているように思えた。単純に言えば、まあ、世間一般の需要とあまりにも違うのだから、こんなモブに、ヒーローになれない男に注力しても駄目なのだ、と思っていた。横須賀一の物語に、私の自己満足でしかない理由で、三浦仁を登場させてはいけないのでは無いかと、思ってしまっていた。ひとりで鬱々としていた時期だった。
今ならそんなことないと言える。ただ、悲劇を好む人が多い中で、創作の所謂盛り上がりとかそういうのも、いろんな、いろんな話題や要素が絡まって、私は三浦仁というキャラクターを殺そうと思った。元々モブ顔だけれど、デザインをもっと、もっとモブに近づけようと思った。お話の中でも私が思う彼の魅力を出さないで、私の好きな部分を詰めすぎないようにしよう。そうしよう。横須賀一と山田太郎の物語でいいじゃないか。そう思ってキャラデザを変えようとしたりもした。その時期の絵がこれである。
ちなみに何故三浦仁がそのまま三浦仁となりえたのかというと、「このキャラデザSAN高そう」だったからだ。お前精神死んでる言ったけど余裕有るんじゃ無いのか? みたいなコメントが残っていてつい笑ってしまう。(※SANとはCoCTRPGのシステムであるステータスのこと。精神が強いかどうか。幸運値と同数であり、三浦はこれが低かったので不運キャラになっていた)
それでも本編作中で、私はあわよくば三浦を殺すべきか悩んだ。ただ、話として三浦は生きていなければならなかったのでそうはならなかっただけだ。モブみたいだけれどなぜかしれっと絡むキャラクターいいじゃないか。私は魅力的な彼が好きだ。特別不幸に溺れるわけでは無い彼を、私の手元に置いておこう。弱ったメンタルのまま、結局私は物語をねじ曲げず、三浦仁という人物もねじ曲げず、私のかきたいものもねじ曲げず、書き切った。
それは今とても幸福な糧となっているが、けれども、結局満足に足るまではならなかった。満足に少し近づいた、とは思う。けれど足りない。
三浦仁のことを切り離さなければというような焦燥や、不幸な物語を愛せない孤独感などはもうだいぶ和らぎ、とくに前者はほとんどなくなっていた。この頃にはもう三浦仁を殺そうとした苦しさは失っていたのだ。満足は出来なくとも、「探偵 山田太郎と記録者 横須賀一の物語」を書いた段階で三浦仁の彼は私の物語で生きていくとはっきり思えて安心したのだ。
けれども、でも、満足には足りなかった。
元々わかっていたことなのだけれど、三浦仁、にTRPGとは違う経験をさせることが出来ても、彼は一歩足りない存在でもあった。横須賀一の物語なのだから彼は主人公に成り得ないので仕方ない。ただ、ひとつ進むための物語を終えた。そこで満足すれば良かったのだけれど、私は満足しきることが出来なかった。
三浦仁、は、TRPGの時も私がかいた物語の時も、主人公を見る人だ。最初のスタンスが冒頭に伝えたような物だったので仕方ないのだが、彼は、誰かを引っ張り変えるのでは無く、見守り共にあり感謝し踏み込まずしかし助け合うような人だった。そういうキャラクターだから、横須賀一と山田太郎という主人公達を彼は眺める。物語のほんの少し外側、それでも楽しげに関わっている。
一人で寂しいなんて事は無い。彼は家族も友人も同僚もいて、適当にそれなりに、楽しい心地を持っている。そして番外編や続編「探偵事務所の活動記録」でもしれっと山田や横須賀と関わって、その姿は楽しげ、なのだ。
それでも私は、満足、は、できなかった。
主人公で無いキャラクターを好きになる傾向がある。だから、三浦仁が主人公じゃない事が理由では無い。ただ、彼の愛を受け止めてくれるものが欲しかった。彼の涙を思う人が欲しかった。彼を見てくれる人が欲しかった。
TRPGという世界の中でなら彼は最高の友人を持っていたけれど、違うのだ。私の物語で彼に生きて欲しかった。
私のコントロールできる場所で、私の物語で。報われる世界で。
少し話がずれるようで、私の中ではひとつの要素なのでここに差し込むけれど。元々うちよそというものの楽しみ方もそういえば違っていた。私は他人と一緒だからこそ見える、自分が描かないような物語を楽しんだし人の物語も楽しめるそれらを嫌いでは無かったが、それは個々に物語があることが丁度いい案配だった。そもそも一人で創作を楽しんできたので、他人がいなければ成り立たない物語は自分にとってどうにも足りないのだ。キャラクターがそうである、いることに満足できればいいが、そういう場合はそのためでしかないキャラの場合で、結局私のキャラクターに関しては違った。まず私がいつでもかける場所、その世界でキャラクターがどうであるかが大事だった。
だから私は、三浦仁に足りない物、を埋めようとした。彼は元カノとうまくいかなかった。もう恋はいいと思っている人で、それはそれで一つの生き方だと思う。けれど、三浦仁、という人間にとっては、恋人という存在は大切にも思えた。だからなんとか素敵な女性をみつけないととせめて相手を考えて、でもやはりしっくりこないで流れていた。そういう中で、彼の満足を別の方向でアプローチしようと思った。
別の方向でのアプローチは、友人、だった。彼にはTRPGの時に友人がいて素敵だった。私の物語の中でも彼は友人がいる。けれど、彼はあくまで友人がいる、だけで、その友人と深いエピソードは無かった。
三浦仁という人間は人に助けられていきている。だから人に感謝する。けれど結局三浦仁は軽い位置で、良い奴だったよなとかたまに声を掛けられて笑う、一人で生きられもする人だった。誰かがいるけれど誰かの特別にならなかった。だから、三浦仁、を呼んでくれる人が物語で欲しい、と思った。
そうして出来たのが、小山司朗、というキャラクターだった。2018年、去年のことだ。とりあえず友人を作ろう、で、作ってみたのを覚えている。
私はやはりキャラクターがひとりでないことに安心するタイプで、そうしてから随分と気持ちが楽になった。彼らは普段会っているわけでも無く人から見ると淡泊に思えるかも知れないが信頼し合い安心する、お互い甘え甘えられる事が出来る、さっぱりしながらも頼りあえる関係、という、私がいつも大好きな友情だ。それ故に特別物語が出るわけでも無いが、ああ、これで大丈夫だな、と思えた。
そう、大丈夫。恋人がいないということは三浦仁という人物にとって非常に寂しいけれど、ゆっくりゆっくりのんびり考えていけばいつかそういうキャラクターも浮かぶかもしれないし、彼を書くのにそれらは必須では無い。あくまで主人公では無い人の良い彼だから、サブには恋人ができたかどうかの話題だけだし、それでいい、と思った。
ようやく、満足に近づいた。安心したのだ。私の物語の中で、彼は彼の気持ちを大事に受け取り、彼に気持ちを大事に伝える人を得たのだ。ほっとしたのが2018年で、そして今年は、もうひとつ、大きく、大きく進んだ。
ふとした与太話がきっかけだった。三浦仁に相手が居ないけれど誰がというので、自創作キャラの中で相手を探したときだった。実は、実は少し考えたことがあって、それをぽろりと零したのだ。
三浦の友人、小山司朗。彼が三浦仁を好きだったら、という話。
何で突然ともいえそうだが、元々小山司朗は、「お前が結婚したら結婚式のスーツを仕立ててやるよ」と学生時代に三浦に伝えていた、という設定があった。小山司朗というキャラクターは仕立屋の次男坊で、継ぐ予定だった長男が警察官を目指したので仕立屋を継いでいる。本当はフィッター志望で兄と一緒に仕事をしたかったけれど兄の夢を知っているから応援し、兄のスーツを選んだ、という設定があり、その流れで三浦にも結婚式のスーツ、があった。
そういう彼が、もし三浦仁を好きで、けれども友人である今が十分幸せだから心から三浦仁の結婚式を楽しみにしている、幸せを願っているとしたら。友情のままで凄く素敵だけれど、三浦仁の届かなかった思いを彼が受け止めてくれたらいい、と思ってしまった。
元々私は友情が好きで、恋愛で無い関係を楽しみやすい性質がある。だから、正直思いついたけれども彼らの友情を恋情にしてしまうのは勿体ないと最初は思った。けれども友人である小山司朗は三浦仁をはっきり思ってくれて、彼の思いを受け止めてくれて。友情と恋情があっても、はっきりと、友人であることを大事にして、相手が友情であるとわかった上で嘆くのでは無くそのことを幸せに感じる、とても素敵な人であった。
三浦仁は、ひとつ届かない。そういう経験をTRPGでしてきていた。彼は踏み込まない。踏み込めない。人を思って、そっとその境界線の前で待っている。そんな彼に、貴方が良いと言える人が私は欲しかった。そして三浦仁が貴方を選んだときに、幸せそうに頷く人が欲しかった。
ああ、ようやくだ。欠けていたものがようやく埋まる。人から見るとややこしいかもしれないが、私は、この二人の物語を書こうと決めた。
2019年4月1日。彼らの物語を公開した。友情の始まるときで、私は、最高に好きな友情を書けたと思っている。そしてその友愛が恋愛になる未来を考えても、大丈夫、この二人は私の好きな、友情と親愛と恋慕を大事に持てる、と確信した。
#1 子供な僕等(Side:A) | 不器用な僕等 – 空代の小説シリーズ – pixivわざわざ言ったことは無いけれど、元晴の手が好きだった。特別綺麗なわけでも、男らしいわけでもない。それでもその手が鋏を持ち、www.pixiv.net
なんかもう、それから今年は凄く満喫したと思う。彼ら二人の関係も出し、そんな彼らを、好きだ、と言ってくれる人が居たことも大きいかもしれない。殺さなければと思った三浦への感情から今、だいぶ変わったと思う。それは不幸な物語じゃ無くても楽しむ人は居るんだ、という、凄く当たり前の実感だ。
「探偵 山田太郎と記録者 横須賀一の物語」を読んでくれる人が居た。それだけでなく楽しんだと教えてくれた。三浦仁を好きだと言ってくれる人が居る。あんな特別なところが無いのに、それでも大丈夫と教えてくれた。そうしてこっそり、ではあったけれども、普段書かない同性CPかつ、特別見目が良いキャラクターでもなく私の趣味しか無いような小山司朗が、大好きだと言ってくれる人が、居た。
楽しんで良い、し、ひとりじゃない。別に一人でも創作はするんだけれども、あの当時感じていた強迫観念じみた怯えは無くなって、あんなに読み返すと苦しかったものを、笑って見られるようになった。
それが先に紹介した、殺そうと思ってた時期の絵だ。
あの没のキャラデザを、それはそれでいいな、と、ちゃんと一人の人に起こせるようになったのは驚きだった。
凄く単純に趣味ではあったし、彼は彼で魅力的だと思い返せるようになっていた。三浦仁と小山司朗の物語は勝手に書いたと思う。誰も見なくてもかいた。けれどこのキャラデザと向き合えるようになったのは、確かに人が居たからだと自認できている。
それが大きな、大きな感謝で、今もある。
絵は不穏だけれどもこれはこれで話として書きたい部分で出来ていて、三浦仁と小山司朗の関係に没だったキャラクターが他人として関わる、そこにもうひとつの友人関係ができることが凄く私は嬉しかった。なんというか、ここまでこれるとは思わなかった。凄く凄く、幸せなのだ。この関係がかけるということが。
まだ、三浦仁と小山司朗の話は書きはじめたばかりだ。友情を重ねて恋慕が届くかもわからないややこしさとそれでもいいよとするお話を書かなければならないし、没だったキャラクターとの物語はその恋愛話とは別の場所で書く必要がある。「探偵事務所の活動記録」がメイン創作であるし他の創作もしていて書くには中々時間がかかる。だからまだ、書き切って満足はできない。
けれども、安心がある。安心と安定で、たっぷり満ちている。
2019年。わざわざ振り返りをしたのは、こういう安心を得られて、しかもあまりにも満喫して楽しかったからだ。最高に、最高に良かった。この一年、三浦仁というキャラクターにとって最高に大切なものになった。これから先は、この安心の中で彼らをもっともっと形にしたい、と思っている。
凄く幸せで、だから、今こうしてまとめを書けることがとても嬉しい。
来年も良い創作の一年になるといい。ゆっくりゆっくり、彼らを書くにはまだまだ時間が足りないけれど、彼らと共に歩む幸せが、ここにある。
(初出:2019/12/31 再掲:2023/01/19)